随筆 125

静寂の中でシェリーと風に吹かれているだけで、とても幸せな気持ちになる。

多分、シェリーもそうなのだ。

樹々の葉が揺れているのを見ているのか。

鳥たちの声を聴いているのか。時折、何かを確認するように私を見つめ、またそよ風に吹かれてただただじっと山を見つめている。

燕だけでなく、カラスやキジも飛んでいるし、鴬やハクセキレイの声も聞こえる。

外で過ごす昼下がりは、シェリーの五感が研ぎ澄まされ、本能を忘れないために必要な時間だ。

シェリーにとっての本当の富を与えてあげられないから、せめて選択肢をどれだけ増やしてあげられるか考えてみるものの、私には僅かなことしかできない。

今日は、庭で収穫したベビーリーフをたくさん食べた。

畑の苺を一番に食べるのは、私たちでなくシェリー。

コニーサンもベランダのワイルドストロベリーが好きだった。

富のことを考えてみる。

たとえば我が家の朝ごはんは毎日こんな感じ。

パンも雑穀、ナッツ、スパイスなどを混ぜ込み、栄養価が高くなるように考えて焼いている。

いつまで続けられるかわからないが、家族の身体を守るために恵みに感謝しありがたくいただく。

 

本当はこれ一食で生きていけるはずなのだけど、まだ光で生きていけない私たちは、晩御飯も食べるしワインも飲む。

 

お弁当も作る。

喰うために働くのが仕事なら、これが私の仕事。

そして『喰うため』なのだから、そこが充実していれば幸せなはず。

役割分担する家族に、満足のいく安全な食事を提供するのが責任。

家族の精神も安定するし自然治癒力も高まる。

愛の循環。

これも富。

 

食べることに力をいれるかわりに、余裕のない経済事情は自分で何とかしなければならない。

髪は自分でカットするし、自転車の修理も自分たちでする。

化粧品は材料のバラやハーブから育て、食べるための少しの野菜と果物も育てる。

体力を落とさないために車ではなくクロスバイク、そして毎日の軽い運動と畑仕事。

早朝から夜まで活動し、バランスがとれた食事をしていれば、肥ることはない。

ゆえに質のよい服なら20年以上着ることができる。

母から譲ってもらった昭和の品もまだ使っている。

 

富とは裸になっても持てるもの

 

私たちは、十分すぎるほどに恵まれていた。

これから次々に何かを失っていくとしたら、そこで初めて思い出すのだろうか。

誰も何もしてくれない世界になった時、動物たちのように即座にサバイバルできるだろうか。(人間が閉じ込めたり繋いだりしていなければ、飼い主が死んでも彼らは外に出て自分で食べるものを探し生き抜くだろう)

 

途上国に一人で降り立ったあの日を思い出す。

土一つとっても日本とは成分が異なり、水のミネラルもちがう。

それらを取り込み腸内細菌を変化させる。

 

一期一会の想いで二度と会うことのない誰かと一緒に歌い、握手もする。

「またね」

という言葉は、涙ではなく必ず笑顔で。

 

ニンゲンが皆、大切なことを大切にしていたらどうなったろう。

ニンゲンが余計なことをしなければ、完璧なシステムを持つ地球は、安定した世界だったのかもしれない。

だけどニンゲンは他生物よりもずっと弱く、死ぬことを極度に恐れ、抵抗を続けてきた結果、多くの富を失ったようだ。

感覚器の鈍化した、過ぎた縄張り争いと怠惰の行きつく先が闇であるとようやく気付いたとき、もうニンゲンはいないかもしれない。

 

どうか大切なものを大切に。

愛する人と後悔なき今日を。

 

 

 

 

 

 

 

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