随筆 198

今日は5時から生地を発酵。
久しぶりにチャパティを焼きました。
スパイスやバニラ、蜂蜜バターなど練りこんで、自家製酵母で発酵。
一応栄養価は高く作ってあります。

ということで、今日の朝ごはんは……

自家焙煎珈琲と低温殺菌牛乳のミーコー
チャパティ
おからのバナナパウンドケーキ
ズッキーニとクリームチーズの自家製ハーブソテー
トウモロコシ
らっきょう甘酢漬け
自家製レッドオニオンのマリネ
採れたてオクラ
うちのルッコラとケール、ロメインレタスのサラダ
うちの胡瓜
自家製玉ねぎドレッシング
林檎
和歌山の桃
西瓜

自覚って大事ですね。

自分が好きな人だから『正しい』ってのは無茶苦茶な思い込み。
自分の血族だから『正しい』ってのも無茶苦茶な思い込みで。
中学時に習う統計学を自分なりにフル活用して、地球上、せめて超狭い範囲でも日本の国境という線の中の民族性を考え、それぞれの立ち位置を冷静に判断しなくては裸の王様。

専門学に長けていても他を全く知らない文化人もいますし、高学歴とは無縁でも、地球にとって大事なことを知っている先住民もいます。

子供の頃からずっとゴキブリや鼠、雀などと同じく、賢い原始人を尊敬しているので、都会のど真ん中に生まれてアスファルトの上にいることがスタンダードだった自分は、義務教育で得た『知識』の確認と振り分けに時間がかかりました。

つまり必要な事、必要でないこと、机上の空論(私が滞在していた途上国のことなど社会の本には適当な記述)虚構など、事実と異なることは案外多くて、それを調べて確かめてみるのに数十年を要するってやつです(笑)それでもすべてを確認できるわけでもありません。

結果、幼稚園に入る前に思った通り原点回帰。
「ニンゲン、これでよかったやん。どんだけ遠回りしてんねん」というゴンに対しての想いは変わることなく。
物事を複雑化させて『進化』したという『言葉』を使っているだけで、実際は『退化』しているように視えている人も少なくないと思います。

「負の連鎖を止める」という先祖への想いは、自分の親や祖父母に至ってもそれぞれ何が強くて弱く、選択や判断に長けているか否か、思考回路は多いか少ないかなど、俯瞰的に見てそれを無駄にしないように選択判断しなくてはならず、自分の不得手な部分も強く自覚し、もしも自分の今に満足できないのなら、目を逸らさずに明日から変えればよいだけの単純なことだと気づくことでしか進まないのです。

かつて自分は病弱で、運動会までドクターストップされていて、子供が嫌いで(話が通じない)親とも会話なく、先生も信用できず、黙って椅子に座っているいじめられっ子でした。
それがいやで、少しずつ自分を変えていく中で、虐めの親玉とはその後親友になりました。
「あの時酷かったよな(笑)」「お前が好きだったから」
はいはい、よくあるパターン。┐(´д`)┌
「でもこっちは毎日憂鬱だったのよ」

学生時に『寡黙な自分』はまだ残っていたけれど、周囲に「近寄りがたい」とか「怖い」とあまりに言われるのでボケツッコミで冗談を言うように変え、就職時には部長たちに「君みたいな新入社員は前代未聞」と言われるくらい意見を言えるようになっていました(笑)

壁が出てきたとき一生逃げ回る人もいますが、乗り越えた人にはわかるものがあります。

壁の向こうの景色はいつだって美しいです。

進化と革新とかいう言葉のイメージに踊らされないよう、本当の進化とは何かという自問自答は必要ですし、人間優位論や自己過大評価のような『自画自賛』系はそこで脳がストップするのだと証明をしている様でもあり、そこには決して同化せず自分が馬鹿な生き物だという謙虚さを忘れないよう努めたいものです。

永く生きても100年ほど。悠久の営みの中にある地球上でそんな短期間ですべてを悟るなど現代人にはできるわけもありませんが、シュメールやマヤの中に生きた人間ならもしかすると超人的な天才が存在したかもしれません。

道具を作ることも「ここまでは害がないけどこれ以上は有害になる」という判断、抑制ができて「頭が良い」というのであり、強欲に突き進んで新しいものを作ることと万物にとって有益であるかは似て非なるもの。できることでもあえてしないという賢さをサピエンスと名乗るなら持っていなくてはいけないのではないかと。

でも生まれたものは死に、地球も歳をとっていると考えるなら、自然の摂理にまかせ、いずれ向かうであろうサピエンスの絶滅にさえ抵抗しない方がいいのかもしれませんね。

人事を尽くして天命を待つ

地球に愛を

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