随筆 124

ニンゲンは知能の高い動物ではなかったのか。

だからこんなに増殖したのではないのか。

『進化』してサピエンスになったのではないのか。

そういうお話のはずだった。

けれど生物として生きていれば当たり前の自然の摂理よりも、そうではない自我を最優先して(現代の利己的な感情と自然の営みは一致しないことが多々ある)自らを不自然な状態にする選択をし続けるニンゲンに、哀しみがとまらない。

いまや戦争の只中にあって、そういう生き物が皆で意識を統合し、この醜い世界を創造して楽しんでいるように視えるのだ。

持続可能という反吐が出るような綺麗事ワードで虚構を並べ立て、独占欲や支配欲になびいていく生き物を見ていると、まさに自ら地獄に突っ込んでいく下等なものにしか見えず、このような生き物に生まれ落ちた自分を呪うしかない。

子供の頃、確かホモサピエンスは知能が高い生き物だと習った。

しかしその時点で

「そうではないのではないか?」

という疑問がわいた。

アスファルトで塗り固めた道、家の前を往来する車、便利なものに飛びつきどんどん脳が退化する大人たち。

これらは歳を重ねるごとに確信に近くなり、コニーサンとココとの出会いで動かしがたい真実と変わった。

美しさは澄んだものからしか生まれない。

表面的な飾りや誤魔化しでは得られない。

バカはバカなりに正直に生きればいいし、不器用は不器用なりに懸命に生きればいい。

綺麗事を聴けば聴くほど耳が腐るし、善人仮面は視れば視るほど目が腐る。

もしも自ら綺麗事という嘘を吐き、善人仮面を被ってしまうなら、きっともう大切な言葉は聞こえないし、美しいものを視ることもできないだろう。

地球の他生命のおかげで生きているのに、それを忘れたニンゲン。

喰うためなら仕方ない。そうでない虐待と殺戮は知能の高いニンゲンには不要なはずだ。

戦争(戦って争うこと)などしなくても、不自然なものをすべてストップすれば、自己完結力は高まり生命力の強い生き物だけが残る。

その方が手っ取り早い。

お節介なゲームのキャストになる必要もない。

何度考え直してもサピエンスは退化してるようにしか見えないが、死んだ後にくらい天国に行きたいなら、その退化した自分を受容し、せめて潔く、これ以上の詐欺(嘘をついて騙すこと)はやめて死に備えることが肝要かと思う。

まあ、天国や地獄なんて信じていないからこそ、ニンゲンはこれほどまでに生命を尊重しないのだろう。

秋に溜めた木の実を全部食べないリスの方が、よほど地球の循環に添って生きている。

ニンゲンが近づけば逃げる昆虫や鳥たちはとても賢い。

縄張りは自然かもしれないが、欲が過ぎるその知能は壊れているとしか思えない。

数え切れぬ余計なものを創り怠惰で暇になった結果、快楽ホルモンに依存した脳は、さらに面白いゲームを探し続けるのだ。

 

究極の愛は何もしないこと

 

余計なことをして生命力を下げ脳を退化させ、そして不必要になるなど、喜劇のようだ。

物事はいつも原点回帰する。

何もしないことが一番良かった、という結論が出た時はもう遅い。

かくいう自分も数々の失敗の先に原点回帰がある。

かなしいかな、ニンゲンに共通するパターンなのだろう。

ハムスターがみな回し車を走るように。

生まれた者は死ぬ。

 

栄華を極めたものは必ず衰退する

 

勘違いと思い込みは今すぐ捨てよう。

どこにも美しさとユーモアがないゲームはオフにしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です