ニンゲンは知能の高い動物ではなかったのか。
だからこんなに増殖したのではないのか。
『進化』してサピエンスになったのではないのか。
そういうお話のはずだった。
けれど生物として生きていれば当たり前の自然の摂理よりも、そうではない自我を最優先して(現代の利己的な感情と自然の営みは一致しないことが多々ある)自らを不自然な状態にする選択をし続けるニンゲンに、哀しみがとまらない。
いまや戦争の只中にあって、そういう生き物が皆で意識を統合し、この醜い世界を創造して楽しんでいるように視えるのだ。
持続可能という反吐が出るような綺麗事ワードで虚構を並べ立て、独占欲や支配欲になびいていく生き物を見ていると、まさに自ら地獄に突っ込んでいく下等なものにしか見えず、このような生き物に生まれ落ちた自分を呪うしかない。
子供の頃、確かホモサピエンスは知能が高い生き物だと習った。
しかしその時点で
「そうではないのではないか?」
という疑問がわいた。
アスファルトで塗り固めた道、家の前を往来する車、便利なものに飛びつきどんどん脳が退化する大人たち。
これらは歳を重ねるごとに確信に近くなり、コニーサンとココとの出会いで動かしがたい真実と変わった。
美しさは澄んだものからしか生まれない。
表面的な飾りや誤魔化しでは得られない。
バカはバカなりに正直に生きればいいし、不器用は不器用なりに懸命に生きればいい。
綺麗事を聴けば聴くほど耳が腐るし、善人仮面は視れば視るほど目が腐る。
もしも自ら綺麗事という嘘を吐き、善人仮面を被ってしまうなら、きっともう大切な言葉は聞こえないし、美しいものを視ることもできないだろう。
地球の他生命のおかげで生きているのに、それを忘れたニンゲン。
喰うためなら仕方ない。そうでない虐待と殺戮は知能の高いニンゲンには不要なはずだ。
戦争(戦って争うこと)などしなくても、不自然なものをすべてストップすれば、自己完結力は高まり生命力の強い生き物だけが残る。
その方が手っ取り早い。
お節介なゲームのキャストになる必要もない。
何度考え直してもサピエンスは退化してるようにしか見えないが、死んだ後にくらい天国に行きたいなら、その退化した自分を受容し、せめて潔く、これ以上の詐欺(嘘をついて騙すこと)はやめて死に備えることが肝要かと思う。
まあ、天国や地獄なんて信じていないからこそ、ニンゲンはこれほどまでに生命を尊重しないのだろう。
秋に溜めた木の実を全部食べないリスの方が、よほど地球の循環に添って生きている。
ニンゲンが近づけば逃げる昆虫や鳥たちはとても賢い。
縄張りは自然かもしれないが、欲が過ぎるその知能は壊れているとしか思えない。
数え切れぬ余計なものを創り怠惰で暇になった結果、快楽ホルモンに依存した脳は、さらに面白いゲームを探し続けるのだ。
究極の愛は何もしないこと
余計なことをして生命力を下げ脳を退化させ、そして不必要になるなど、喜劇のようだ。
物事はいつも原点回帰する。
何もしないことが一番良かった、という結論が出た時はもう遅い。
かくいう自分も数々の失敗の先に原点回帰がある。
かなしいかな、ニンゲンに共通するパターンなのだろう。
ハムスターがみな回し車を走るように。
生まれた者は死ぬ。
栄華を極めたものは必ず衰退する
勘違いと思い込みは今すぐ捨てよう。
どこにも美しさとユーモアがないゲームはオフにしたい。
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