随筆 98

人によって住む世界は異なる。

同じだと思ってしまうと、コミュニケーションがうまくとれなくなる。

ミクロの世界に思いを馳せて死ぬまで顕微鏡を覗き続ける人もいれば、独りで僻地に行き風景写真を撮影する人もいる。宇宙から地球を眺める人もいれば、いかに金を儲けるかばかり考えている人もいるし、悟りの境地を目指して粗末な着物で修行する人もいる。

このように、着目するものによって世界観は異なる。だけどしばしば、自分と価値観の異なる人間に対して「おかしい」とか「間違っている」と表現する人がいるが、それは自己正当化にすぎない。

 

自分は自分の好きに生きればよい。

誰かは誰かの好きに生きればよい。

 

自分を創造した母親の血液も、食べたものも、育てられた環境も、出会った人も場所も異なるので、その祖先からの繰り返しだと考えれば、価値観がかけ離れていても当たり前のことである。

好きな男に同じ価値観を求めるのは陳腐だし、好きな女に同じ価値観を求めるのも陳腐だ。価値観が近ければ確かに心地はよいが、同じだったらビックリする。

我が子だとしても、他人の精子や卵子と混じったのだから、親と同じにならないことはわかる。似ていても同じではない。クローンを作ったとしても環境が異なる。

価値観を変えることは、とても簡単で、自分が見たことのない世界を見る。これだけだ。

だけど殆どの人は自分を変えたくない。だから、異なる世界を見ると見なかったことにしたいようだ。

あれは、新しい思考回路を使うことに脳が疲れたりするからなのだろうか。

変わった気分になって、刹那的に満足そうにしている人は大勢いる。でも本当は何も変わってないから、変わった気分にさせてくれる人のもとにまた行くのである。セミナーしかり、自己啓発本しかり……

自分の世界は変えられないという思考に陥れば、思考は現実化してそのようになる。リアルはファンタジーだから。

誰かが言っていたように、ワクワクしながら生きるのがいい。

リスクとは死ぬことだから、死なないならやりたいことにはチャレンジしてみればいい。

もし、現状の自分に満足していないのならば。

 

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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