尊敬する科学者がいる。
彼に私は問うたことがある。
ねぇ、科学って明日変わるかもしれない不確かなモノよね?
彼は即答した。
ええ、すべて仮説ですからね。
宇宙を研究している彼に私は、宇宙すら人の電気信号で捉えているだけのものなので確かにあるかどうかなんてわからないと話した。
自分の顔だって、鏡で見えて(脳に伝わって)いるように、他者にも見えているかどうかわからない。
もしかしたら馬のように見えているかもしれないし、猿のように見えているかもしれない。
痩せているという姿も、あやふやなものだ。
太っているというのは、本人が太っていると思い込んでいるだけと言う場合、もしかしたら本人にはその身体がハンプティダンプティのように見えているのかもしれない。
思い込みって恐ろしい(笑)
【リアルを視る力】のある科学者の彼との話はストレスが限りなく少ない。
彼はコピペ人間でなく、アインシュタインの言葉さえ自分で確かめていく人だから、彼の話すことはある程度信頼できる。ある程度、とするのは、私がやってみてないから確証はもてないけれど……多分大丈夫だろうという意味だ。
そのアインシュタインが、何よりも強いエネルギーについて証明できなかったと書いている。→アインシュタインと愛の理論
あれを私は体得してみたい。研究者じゃないのでデータ分析も要らないし、いちいち大勢の人にわかってもらわらなくても問題ない。
自分の生きているこの時の中で、自分で掴み取りたいだけなのだ。
究極を言えば、孤島で独りで試してみて、それによって遠隔であっても何かが変わったと体感できたらそれで満足…みたいなイメージ。
多分誰もそんなことに興味ないだろう。
誰かに強制されたくないし、やるもやらないも自由なので、勝手に試しているというだけのもの。
こういう遊びを私はたくさん持っている。
人とは異なる遊びであり、だから、買い物依存症にもならないし、セックス依存症にもなりようがない。
快楽物質はどんな方面からでも得られる。
強いて言うなら自分が捨てきれないものは、知的好奇心、これだけなんだろうな。
でも、それは動物を殺してまで確かめることではない。
死ぬときが来ればあっさり死のうと思う。
島が沈むなら共に沈めばいい。愛してる土地ならば。
日本では死なないけど(笑)
科学はお話創りとしてはとても面白い。彼らのクリエイターとしての力に、唸ってしまう。
どこまでいっても、人間の域をこえることはない考えだから盲信しないけど……
エビデンス!って叫ぶより、自分の感覚を信じる主義。
リアルを視れば多分みんなそうなるはず…
今日も皆さんありがとう
※写真https://images.nasa.gov
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