本当は他人のことなど関与せずに、しっかりと自分のことは自分で【判断】して
【選択】して、子孫を守るために生きる術を教え、野次馬根性など出さず、隣の芝生を見る暇があれば、一つでも頭がよくなることをして、食物は自分で捕るか育てていれば、なんの問題もないように思う。
問題ばかり探してビジネスにしようとするのではなく、これを全員がすればなんの問題もない。
ところが中には、自分で食い物を捕るのが面倒な類がいる。彼らは考え始める。どうやってあいつらの食い物を奪えばいいか……
これが税金やビジネスの始まりだろう。組織が大きくなればなるほど「人のため」や「社会のため」なるお話が作りやすくなる。
徹底的に己と子孫を全員がまもれば、地球の決めた弱肉強食が働き、ちょうどいいバランスで適当に生きて適当に死ぬ。現時点もある意味、弱肉強食で支配者と奴隷に分かれてはいるが、これはとても脆弱である。データとしての金の数値の桁と、生き物としての質が比例していない。支配者の子孫が滅びることは大いにあり得るし、先住民が遺ることも大いにあり得る。
自己責任という生き方をとれば、感情としては悲しみや苦しみを伴うかもしれないが、動物たちは日々それと対峙しなくては生きてはいけないはずだ。日々家畜やペットや野生動物など、他生物には苦しみを与えているのだから、人間も辛さや悲しみにきちんと向き合えば良いと思う。死ぬものは死ぬのである。
命の責任は自分でとればいい。
エネルギーが循環するとするなら、地球の用意してくれた循環の中で、食べるために他生物を殺して喰らうのとはちがい、自由を奪い、苦しみの中で殺された彼らの肉を、必要以上に身体に取り込んだ人間たちが病気になるのは仕方がない。添加物の問題もしかり、そうした人間達に加担している自分の意識が、その波長に合っているだけのことなのだろう。きちんと、自分がやったことが結果に出ているのかもしれない。
正当化や言い訳や、あまり頭のよいとは言えないお話づくりに、命を使うのは本当にバカらしい。
お話づくりがうまい人が下手な人を洗脳するし、お話づくりが下手な人は、説明できずに上手い人に従っている。
世の中全部、クリエイターが仕切っている。
支配欲や独占欲は多分、本能で食い物を求めた結果、恐怖が増大し過ぎて壊れてしまった神経なのだろう。
人間がやっていることは、すべて単なるお話づくりである。お話を失くせば真実は浮上する。
何も正しくないし、何も間違ってはいない。
お話は自分で創ることをお勧めする。
真実は虚無
リアルはファンタジー
MAHIRO SHU
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