随筆166

怒涛のようにやらなくてはいけないことに追われる日々。

残念ながら、自分の時間はほとんどない。

やりたい事ではなく、やらなければいけない事。ただ、そのやらなくてはいけない事の中に、純粋な魂との関りがあるゆえに時間をつなぎ合わせることができている。

望んだ魂ではないけれど、出会ってしまった魂たち。いずれ別れ逝く魂たち。

素直に真っすぐに語りかければ通じることがある。

 

明日も昭和のような時代が続くと思い込む人々や、バブリーな時代にメッシーアッシーと遊んだ親の価値観を信用した子世代の楽観的思考は、この国のお花畑でもあり、ある種の楽園を創る。

多くの人々はありがとうの言葉に酔いしれ、本質から遠ざかっていく。

動物愛護は、自分を含めた過去の人間の彼らに対する殺戮や支配の潜在的罪悪感の表れの一種にも視える。

 

罪悪感を持つなら、閉じ込めて嘴を切り睾丸を潰すのではなく、彼らを大地に放ち自由にしてやればいい。

食べたいニンゲンは自分で捕まえるがいい。

知らない誰かのために飯を用意してやる必要はなくて、他生物のように、自分の飯は自分で用意すればよい。

地球は誰のものでもないのだから。

さすれば一定数は淘汰され、生命力の高い種が台頭するだろう。

それはニンゲンじゃないかもしれない。

事実、数で言うなら、多分ハエや蚊の方が多いだろう(笑)

植物の力にも敵わない。

 

でも恐怖が大きくて美しき緑の星の様な生活を選択できる民は少ない。

自由とは、毎日が生死の狭間で明日どうなるかもわからない世界だ。

動物たちや虫にはできるけど、殆どの人間にはもうできない生活。

地球はそんな生物を造ったのか?

やはり人間は下等なのではないか。

植物に対しての敬意と、共生する動物たちの魂の強さに圧倒される生活。

自分が下等動物に生まれたことが嫌になるけど、出会ってしまった美しい魂が寄り添ってくれることがこの上なき幸福。

 

殆どの執着を手放していると自負する自分も、ここまで来るには段階を踏む必要があった。

子供のころから便利なものはバカになると考えて周囲に流されない選択をしてきたけれど、中にはそんなことどうでもいいから怠惰でいたいという人もいて、それはそれで幸福な生き方の一つだと思う。

ストイックだとよく言われる私は、それが『楽しい』と思えるから継続できたのだと思う。

万人、万物、明日のことは明日にならないと分からないのだから好きに生きるがいいと思う。

 

執着はひとつひとつ自分の脚に重りとなって繋がれていて、海の底に沈んでいくイメージを私はもっている。

執着がなければ、海面で大の字になって浮いていられ、太陽を浴び、思い切り空気を吸い込んで笑える。

 

私にも大きな執着が一つ残っていて、そろそろ手放したいと思った。

完了させないと放せないなら完了してしまえば良い(笑)

 

なにもかもシンプル。

 

単純明快に考えよう。

 

万物に幸あれ

地球の自然治癒力が強く働きますよう

 

今日も皆さんありがとう

 

 

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