素直になるということ

人間の感情は複雑です。

生き物なんだから、本当は喰って出して交尾して寝る毎日で充分なはず。

おまけは仲間との触れ合いと遊びくらい。

シェリーやコニーサンだってそうでした。

 

誰かに見せるためや勝つためだけに顔を作り、目立つものを持ち印字の桁を増やし、他者からこんなにも搾取するような生き方をするのは、地球上でホモサピエンスだけでしょう。

他生物を真摯に視ていれば人間が最たる馬鹿だとしか思えなくて残念でなりません。

かく言う自分も似たり寄ったりで、日々よろしくない感情が湧き上がることがあります。

 

言葉を愛のために使うのではなく、虚構に使う人間。

独りで生きていけないくせに傲慢にも他者を便利に使おうとする人。

肌の色や学歴、肩書などで米つきバッタのようになる人や胸を張る人。

全部大嫌いです。

 

何かを嫌いになってはいけないとか、許さなくてはいけないって若い頃は思っていました。

でも所詮この世には善も悪もなく、それらは人間だけが創ったお話なので、そんなことで自分の心を病むほうが、命を繋いでくれた万物に申し訳なさすぎると考えるようになりました。

サピエンスが完璧を目指すなどちゃんちゃらおかしいのです。

嫌いなものは嫌いで結構。

許せない人は許さなくていいやって。

個人の自由ですからね。

報復するとかいたぶるとかではなく、自分の世界には入れないってだけです。

 

総てはニンゲンの創ったお話だと気づいている人は、時にそれを信じている人とは真逆の価値観を持つことがあります。

互いの話は永遠に嚙み合わないかもしれないけど、仕方ありません。

だからといって相手の価値観を間違いだとも思わないし、自分の生き方を変える必要もないと思います。

個人の自由ですから。

 

一応群れの最低限のシステムは守って、他者に迷惑をかけないように、できれば心に余裕があれば、近しい人々を助ける知恵くらいは身につけておきたいものです。

助け合いはいつの時代も有益です。

動物でも群れで助け合います。

殺し合いもするけれど。(あ、人間と同等ですね)

 

もし人間が本当に高次元の生物なら、殺し合いも奪い合いもしないで問題解決が出来るはず。

出来ないという事は他の動物とさほど変わりないか、他生物を必要以上に殺し続ける地球の癌細胞なのかもしれません。

この世に善悪や優劣は無くても好き嫌いはあって、悟りの境地を目指す方々もそこに向かう意識の始まりは愛ではなかったかもしれません。

諸行無常と言う人を視ていると、その人にはとてつもなく大きな悲しみがあるように感じます。

利己的でも、自分のことしか視ていない方が断然幸福だったりもするでしょう。

 

今日も一緒に生きている他生物を人間の創ったお話の為に閉じ込めている自分が嫌いです。

そのお話を創る人も嫌いです。

信じる人も嫌いです。

 

だけど彼らは大好きです。

コニーサンもシェリーも愛すべき存在です。

畑への道程で出会うカワセミも鷺も綺麗です。

美しい魂が好きです。

それに見合う生物になりたいです。

 

良いと思えない感情も、自分はバカな生物に生まれてしまったのだから当然だと受容したとき、他生物に対する懺悔や愛が生まれる気がします。

後にそれが謙虚さや感謝に繋がっていくのだと思います。

 

皆さんも自分の心に素直に一度の人生を楽しんで終えましょう。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

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