随筆 167

笑顔は周囲だけでなく、本人の脳にも幸福だという錯覚を与えるというならやはりあの笑顔はとても傷ついてきた人にしか見せられないものだったのだろう。

 

上司から笑えと言われてつくる笑顔は重い。

なら、他国のように、無表情で提供してもらう方が気が楽だ。

不条理な客に無理やりつくる笑顔ではなく。

だからあの満面の笑みは今まで見た誰よりも輝いていた。

そして私をとても幸福にした。

 

必要ならそこに在って 必要なければ淘汰される

 

何年会うことが無くても、心が繋がっている人はいる。

逢いたい人もいる。

 

時代が終末期を迎えようとする今、予定より早く来た永遠の別れが溢れている。

いつ誰とサヨナラしても不思議じゃない。

來世に持ち越すわけにはいかない想いと、その道程を辿らねば気がつかなかったこと。

 

サピエンスは地球上の最下等動物にみえる。

何世代にわたっても、なお地球の癌細胞のようだ。

かくいう私も、多大なる生命を殺し、命を無駄にし、傷つけ、失敗の繰り返しで生きている。

それでも己の運命を受容し、終わりに向かって歩くしかない。

過去の哀しみも歓びも、私を罵倒した人々も愛してくれた人々も、総てが現在に繋がっている。

だから、何一つ間違っていたとは言えないでいる。

 

たとえ私たちが地球の癌細胞だとしても、いまだそれが止まないという事は、地球にそう組み込まれた生物なのかもしれない。

悪に視える行いも善に視える行いも、他生物への殺戮も、なにもかも。

皮膚細胞は、胃粘膜と闘ったりしないし、周期が来たら死ぬ。

だけど癌の様な細胞もあって、多細胞に悪影響を与えてしまうこともあるとしたら、まさにそれが大多数の人間のようでいて、自分がどう動けばいいのかさえ分からなくなる。

不思議なことに、こんなに時間がたっても6歳の頃に感じた先住民に対する畏敬の念は変わらないし、近所の子と遊びながら大人を視ていたあの頃と価値観は同じだ。

細胞はほとんど入れ替わって住む場所も食べるものも水も空気もこんなに変わったのに、その価値観はいったいどこから来るのだろう。

 

息子は下半身不随になって骨も失ったけど、彼自身だった。

ある人は指が3本とんだけど、その人のままだ。

祖父は胃を切ったけど、臓器を一部失っても祖父のままだった。

それは地球が組み込んだ何か……なのか。

どこからどこまでが自分なのか?

私を覆う細胞と私の源がもし別の物だとしたら?

 

動物たちを視ていれば気づく。

彼らには地球が組み込んだ本能がある。

教えなくても到達する場所がある。

そして彼らはそれを一番大切にしている。

 

だけど皆、ニンゲンのお話を信じている。

お話を読むことに夢中で、目の前の魂を視ようとしない。

そして毎日、何かと闘っている。

いかに多くに愛されるか、善人仮面のメンテナンスに必死だ。

自分の本当を隠している。

だけど愛すべきは誰かを覆うものではなく、その魂。

魂に形は意味をなさない。

 

私には來世は要らない。

人間はもう終わりにする。

もしまだ生まれなくてはならないなら、蚊になって

「二度とニンゲンなんかに見つかるな」

と伝えた彼らと共に草原を走って飛んで歓喜する。

 

ニンゲンとしての愛を今生で

美しき生物としての愛を來世で

 

万物に愛を

 

 

 

 

 

 

 

 

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