随筆 148

意識によって世界が異なる。

意識は言葉から読み解くことができ、自分の中で瞬時に翻訳をすることで得られる。

例えるなら日本語ではなく『自分語』

多分、ニンゲン対他生物も同様。

 

誰かのお話をコピー&ペーストしたかのような、単なる台詞を話す相手だとしても、その台詞を話すと選択している意識はその言葉から翻訳できる。

なぜだかそれは、聴く人には空を舞うペラペラの軽い言葉に感じてしまう。

 

世界はクリエイター(創造者)が創っている。

たとえ他人のコピペであろうと、誰もが自分の世界を自分で創造している。

言葉はその『創造』に大きく関わっている。

 

「ありがとう」

が良くて

「バカヤロウ」

が悪いというものではなく、その力の意味はもっと深く、別のところにある。

意識と限りなく近い言葉を放つ人が『正直』なニンゲン。

意識とのかけ離れた言葉を放つのが『虚構』

 

その言葉に乗った魂を視ることがとても大切。

前者と後者は同じ言葉を使用していても、意識がまったく異なる。

真摯に向き合っているか、騙そうとしているのか。その目的は意識から来ている。

 

『綺麗事』は、本人が心に悪意があると自覚しているからこそ、瞬時に綺麗な言葉に置き換えて故意に他者を騙す業。

耳障りが良い言葉かどうかはどうでもよい。

 

歯に衣着せぬもの言いだとしても、きちんと自分の意識を伝える言葉なら、よくも悪くも生きた言葉であると思う。

 

未来に向かう時、自分に放つ言葉も同様である。

自分自身はその言葉が事実であるか虚構かを自覚している。

その言葉に乗った魂は、波紋のようにひろがって、どこかにぶつかり、巡り巡って自分に還ってくる。

その言葉を耳にして感じた他生命の魂も、そこに乗って還ってくるのだ。

愛に溢れ他生物と共生してきたニンゲンの末路に抑揚なき静寂が訪れるのとは裏腹に、そうでない苦しみが還ってくる人を目の当たりにすることがある。

そのような最期の場面に出くわすとき、変えられない運命の強さをも想う。

 

どちらにしても、出したエネルギーは全て自分に還る。

すべては自己責任。

 

もし身体を離れてでも意識があるとするなら、そこからは別の世界。

同じ波長同士でパラレルワールドに住んでいるのかもしれない。

最高の世界。天国。

 

自分はただ真っ当に生きていればよい。

自分の世界は自分の魂の言葉でできているから。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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