随筆 76

人間社会の中で生きていると、まるで自分が万能な神にでもなったかのような錯覚に陥ってしまうものだ思う。

だけど、国を越えて種を超えて、ニンゲンが絶滅してしまうようなことが瞬時に起こることだってあリ得る。

例えば地球の温度がどんどん上がっていて、今すぐ努力したところで明日から環境が激変するわけではないし、ある時、急に2004年の映画 The Day After Tomorrowのようなことが起こるかもしれない。

地質学者がいうことには、イエローストーン国立公園の火山が再度爆発すれば、噴き出した灰で、地球環境が激変し生物の殆どが絶滅するとか……

巨大隕石の地球への衝突なんかも、映画「君の名は」のように起こるかもしれない。

まあ、そのくらいニンゲンなんて微力な生き物だ。

例えば絶滅したとしても、自然の成り行きだから仕方ないだろう。だからこそ、もっと地球を愛しておいてもいいのになぁと個人的には思う。

昨日ミルキーが私の手のなかで死んでいく様をみながら、もしもまだ自分が生きていたら、大切な存在をこうやって次々と見送ることになり、悲しみは積み上がっていくのだろうなと考えていた。

だけど、悲しみと後悔は比例しているわけではなく、死ぬときに後悔なきように真っ直ぐに愛していれば、誰が死んでも自分が死んでも悔いがないように思う。悔いる場合はやりきっていない時ではないだろうか。

とるに足らない力だからこそ、傲慢さは非常に陳腐で、自覚をしておかないととても滑稽になる。仕事などでは断言しないといけないこともあるだろうけど、根底には、自分が地球の塵のような存在だという認識だけは持っておきたいと思う。

どうでもいいことは、どうでもよい。

だけど、ひとつの雫が落ちて波紋が広がるように、伝播することもあるのかもしれない。

そんなことを考えながら、宇宙からニンゲンを見つめてみたら、とても面白いのだろうな。

 

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

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