随筆 77

老いていくことを、とても怖がる人が多いように見えるけれど、私はいくつになっても、昨日となんら気分は変わらない。

記憶に残るもっとも憂鬱な誕生日は

16歳だった。

あー自分の全盛期(外見)は終わったな、と感じたのを鮮明に覚えている。。

結婚できる年齢になったことで、それまで成人に見えても「15歳です」と逃げられた状況から、もう大人だから逃げることはできないとも感じた。

当時、その一、二年後に死ぬかもしれないと、医師から宣告されていたこともあり、学校や社会の価値観に洗脳されるような後悔の遺る死に方はしたくなくて、エネルギーを最大限放出しながら生きていたように思う。睡眠時間がもったいなくて、高校生活の平均睡眠時間は四時間ほどだった。

親には、大学に行く金がないと言われていたから、高校では一応親や先生たちの想いを無駄にしないくらい勉強したし、夜は酒も飲み歩いた。教師たちは、とかく外見や交友関係で生徒の質を見極めたように錯覚するので、外見と、頭の中と、交友関係は何も比例しないのだと、私の三年間を見せることで証明したいと思っていた。

教科書は全部学校に置いたまま、学校外では基本的に大人と行動し、朝は五時に起床して銭湯に行って登校。教室には一番乗りで、無遅刻無欠席。だけど外見は多分、学年一恐れられていたかな(笑)それでも教師が私に何一つ文句を言えなかったのは、やることをやりまくっていたからだ。

卒業してから4年ほど経ち、息子を連れて訪れたとき、

「昨日も職員室でお前のことが話題にのぼった」

と云われて、もう忘れられているかと思っていた私は結構驚いた。私が証明したことで、見た目で生徒にレッテルを貼るのをやめてほしいという願いは、少しくらい聞き届けられたのだろうか。

教師になって戻ってこい、と言ってくれた先生もいたし、アメリカに渡って通訳を目指せと言ってくれた先生もいた。企業なんかに就職するのは勿体無いと言ってくれた先生もいたし、女として興味があると、ハッキリ私に言った先生もいた。(笑)

案外、好きなように三年間を過ごさせてもらったのに、注意など全くされず、先生方の言葉は今も心に残っている。もっと一人ひとりの愛情を、しっかりと受けとめて吟味すればよかったなと。

かつて16の誕生日に感じたように、私はあっという間に大人になり、結婚し、母になった。

男嫌いで、女にモテていた私を知る同級生は、私が三人の子を産んだときくと驚く。

「本当に母親やってるの?」

と言われたこともあるし(笑)もっと驚くのは三度も結婚したということだろう。

それに、病弱だった私がこんな歳まで元気で生きていることに、幼稚園の頃から知る友人はひっくり返ることだろう。

20代の頃は数限りない失敗をして、周囲に迷惑をかけまくったと30の誕生日に赤面するほど反省した。

30代の頃も、関わった人々に対して反省すべきことが多々あった。

ここ数年でもまだ、反省すべきことはチラホラあるけど、やっとそれが赤面するようなものではなく、笑って流せる程度のものになってきたと感じている。

誕生日のたびに、私は過去を振り返って反省してきたのかもしれない。

老化?

産まれたものは必ず死ぬのだから、怖がるのはおかしい。

今日、私が産まれた日ではあるが、コニーサンもいないし、ミルキーが一昨日逝ってしまって、ケーキも食べたくない。

大晦日と元日も、私は何も変わらないのだけれど、誕生日ももちろん感情に抑揚がない。

もしも、コニーサンともう一度会えたなら、宇宙まで飛んでいけるほど嬉しいけどね。

私は、予定よりとっても永く生きてしまった。

ということは、与えられた命を無駄にしないよう、自分のパワーをきちんと地球へ返していかなきゃいけないと思う。

最期の日に後悔しないよう、笑って死ねるよう、今日もまたやることはやりきっておこう。

大したことしてなくても、生命にかける想いだけは出し惜しみしちゃいけない。

出し惜しみしてる人は皆、不幸な顔してるでしょ?

循環に損得なんてない。

愛も金も何もかもね。

地球は循環しないと死ぬのだから。

知能を使ってそれをできるニンゲンが、進化したニンゲンなのだと思う。

搾取する生き物は自然が淘汰してくれる。

誰も手を下す必要なんてないのよ。

 

真実は虚無

リアルはファンタジー

なのだから。

 

地球にありがとう。

 

 

 

 

 

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