知っているだろうか……
死んだ子どもの亡骸を一週間以上も離さない動物がいることを……
海生動物保護団体の目撃によるものらしい。
母イルカが死んだ子イルカをもちあげたり海に戻したりしながら、声を張り上げて、口と胸ビレで亡骸に触れ続けている。その6日後、別の調査員もそれを目撃。
海生哺乳類の死体分解は早く、触れるたびに皮膚や身体の一部が崩れ落ちるので、ニンゲンが遺体を引き上げると、母イルカは半狂乱で船に体当たりしてきたらしい。
母イルカも、あまり食べずに危険な状態なので、調査員も引き上げたのだろうが、ニンゲンも、法律などで火葬や埋葬が決められていなければ、同様にする人が出てきてもおかしくはない。
ミイラってそんな想いから始まったのだろうか。私なら精油を使ってやっちゃうかもしれない。
ココが死んだときは精油で腐敗を遅らせた。ウータンのときも泣きながら埋めたし、コニーサンとミルキーの遺体は食べてしまうかどうかかなり迷ったくらいだ。
私達は知識があるので、どうやって循環させ、自分の身体の一部にするかを考えることもできる。
今日ミルキーを埋葬したが、私が好んで食べるマルベリーの根元に埋めた。チビタンもそこに埋めて私が食べた。
ローリーは苺に植えてみんなで食べた。
イルカの気持ちもわからなくはない。
彼らは皆地球の仲間だ。
土替えのとき、ゴキブリを見付けた。なりは気持ち悪いけど、ゴメンよゴメンよと言いながら殺した。以前、土が水と共に階下に流れてしまったことで、私のバラやマルベリーたちを処分しろと管理会社から通達がきたが、お願いだから引っ越すまでもう少し待ってほしい。
植物だって私とともにもう10年以上も生きている。私にとってみれば、コニーサンを殺せと言われてるのと何もかわりない。
植物だって、細菌だって、昆虫だって、皆、ニンゲンと対等な立場にある地球の一部である。
ニンゲンだけが素晴らしいなんて考えてる人の脳の構造、どうなっているのか見てみたいと思う。
見たくないことに目を閉じて、聴きたくないことに耳を塞げば、当然頭はよくならない。
もっと空を見上げればいい。
もっと土を踏めばいい。
もっと水の音を聴いて、静寂のなかに独りで佇んでみればいい。
春になれば、ミルキーの身体は分解されて、マルベリーの木の中に入って実をつけるのだろう。
コニーサンはレダを通してバラを咲かせるのだろう。
そして、私の脳の記憶は、少しずつ薄れていくのだろう。
忘れたくなくても、コニーサンの温もりも、ミルキーが私の手に、しがみついていたあの感覚も、だんだん消えていくのだろう…
だけど彼らを忘れなければ、いつか本当に意識が身体と別にあることを、ハッキリと体感できる日が来るのかもしれない。
そんなことを思いながら、今夜はイルカの映画「THE COVE」を旦那と観ようと話していた。
今日も皆さんありがとう。
※参照: 死を悼む動物たち
バーバラ・J・キング著 草思社
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