随筆 78

知っているだろうか……

死んだ子どもの亡骸を一週間以上も離さない動物がいることを……

海生動物保護団体の目撃によるものらしい。

母イルカが死んだ子イルカをもちあげたり海に戻したりしながら、声を張り上げて、口と胸ビレで亡骸に触れ続けている。その6日後、別の調査員もそれを目撃。

海生哺乳類の死体分解は早く、触れるたびに皮膚や身体の一部が崩れ落ちるので、ニンゲンが遺体を引き上げると、母イルカは半狂乱で船に体当たりしてきたらしい。

母イルカも、あまり食べずに危険な状態なので、調査員も引き上げたのだろうが、ニンゲンも、法律などで火葬や埋葬が決められていなければ、同様にする人が出てきてもおかしくはない。

ミイラってそんな想いから始まったのだろうか。私なら精油を使ってやっちゃうかもしれない。

ココが死んだときは精油で腐敗を遅らせた。ウータンのときも泣きながら埋めたし、コニーサンとミルキーの遺体は食べてしまうかどうかかなり迷ったくらいだ。

私達は知識があるので、どうやって循環させ、自分の身体の一部にするかを考えることもできる。

今日ミルキーを埋葬したが、私が好んで食べるマルベリーの根元に埋めた。チビタンもそこに埋めて私が食べた。

ローリーは苺に植えてみんなで食べた。

イルカの気持ちもわからなくはない。

彼らは皆地球の仲間だ。

土替えのとき、ゴキブリを見付けた。なりは気持ち悪いけど、ゴメンよゴメンよと言いながら殺した。以前、土が水と共に階下に流れてしまったことで、私のバラやマルベリーたちを処分しろと管理会社から通達がきたが、お願いだから引っ越すまでもう少し待ってほしい。

植物だって私とともにもう10年以上も生きている。私にとってみれば、コニーサンを殺せと言われてるのと何もかわりない。

植物だって、細菌だって、昆虫だって、皆、ニンゲンと対等な立場にある地球の一部である。

ニンゲンだけが素晴らしいなんて考えてる人の脳の構造、どうなっているのか見てみたいと思う。

見たくないことに目を閉じて、聴きたくないことに耳を塞げば、当然頭はよくならない。

もっと空を見上げればいい。

もっと土を踏めばいい。

もっと水の音を聴いて、静寂のなかに独りで佇んでみればいい。

春になれば、ミルキーの身体は分解されて、マルベリーの木の中に入って実をつけるのだろう。

コニーサンはレダを通してバラを咲かせるのだろう。

そして、私の脳の記憶は、少しずつ薄れていくのだろう。

忘れたくなくても、コニーサンの温もりも、ミルキーが私の手に、しがみついていたあの感覚も、だんだん消えていくのだろう…

だけど彼らを忘れなければ、いつか本当に意識が身体と別にあることを、ハッキリと体感できる日が来るのかもしれない。

そんなことを思いながら、今夜はイルカの映画「THE COVE」を旦那と観ようと話していた。

 

今日も皆さんありがとう。

 

※参照: 死を悼む動物たち 

バーバラ・J・キング著 草思社

 

 

 

 

 

 

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