この数年でかなり纏まりました。
実は……男女の恋愛にほぼ興味ありません(笑)
現在も誰かと『知り合う』ことは更新し続けていて、昨日まで存在すら知り得なかった人とお話したり握手したり食事をしたりすることには、奇跡を感じワクワクしますが、一般的な恋愛には全くと言っていいほど興味がありません。
映画やドラマなどで恋愛に関するシーンを観ても、こんな感情があったのはいつだったっけ?えーと……最後は2010年かな2013年かな?それとも中学生の頃だったかな?……などという感覚です(笑)
でも目の前の存在を『好き』だとか『愛してる』という感情は強くあるのです。
それは他の人より強いかもしれません。
対象は子どもでも赤ん坊でも老人でも、他人でも肉親でも初対面でも、男でも女でも動物でも植物でも……強いて言うなら万物?!
元来その傾向があることは自覚していましたが、かろうじて男と交わりたいのはもちろん子孫を遺すためでして……
だから厄介なことを避けるため、日本のシステム上、結婚した男性以外とは一切交わらなかったわけでして。
もう一つは、病気のリスクです。
浮気する男性と付き合わないのは、相手の女性に対する嫉妬ではなく病気のリスクが高まるからです。
なので相手の女性には全く感情移入できません。どうでも良いといえばどうでも良いのです。
それが高じると離婚になるのですよね(笑)
相手の浮気で辛かったというよりは、病気のリスクが高まることを避けたかったり、嘘に嫌悪があるだけなので、離婚後も彼女の話を聞いたり彼女自身と会ったりして仲良くできるわけです。自分に関係なくなれば相手が何をしていようが気になりません。
3番目の夫は『現れたら結婚する』と決めていた予感のなかで現れたので結婚しました。それが天命だと思ったからです。
なので現成受用、執着もしません。
彼の人生は彼のものですし、同様に私の人生も私のものなので。
お互いの意思が一致して現在共に生きているといるだけで、それ以上でもそれ以下でもありません。
ただ、世間で言う『浮気』をSEXに限定しないとしたなら、私は常に浮気しているのかもしれません。
好きな女性と食事してる時はとてつもなく嬉しいですし、会いたいと思う人もいます。
年に一度しか会わない男性でも心から楽しみにしていますし、ある意味愛しています。が、そこにSEXが伴わないだけなのです。
なぜ愛をSEXと繋げるのか、まったく理解出来ません。
パートナーは私の浮気の心配をする必要がないかわりに
「あなたとだけ生きていたい」
という女性にありがちな執着を私に求めることもできないので、理解することが困難でしょう。
思い返せば昔からそうだったんですが、この年齢になりますます世間の方が強く異性間交遊に興味を持たれる気持ちが理解出来なくなりました。
たくさんの人に愛されているという事実は多分、刹那的なものを含めれば、誰しも経験していると思います。
その繋ぎ合わせで充分に幸福ですし、なにより幸福というものは愛されるよりも断然『愛する」という、自発的なエネルギーの下に在るものです。
地球が好きです。
本当にどうしようもなく好きです。
これから出逢う人々や動物、存在との一瞬一瞬を大切に、命尽きるまで淡々と生きていきたいと思います。
今日も皆さんありがとう。
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