随筆 163

風があるから幸福で、空があるから生きている。

かつて海の向こうで出会った人々。

共に歌い、笑い、夕陽を見ながら、その刹那確かに心がつながった。

二度と会えないとわかっていながら

「またね」

と手を振ってサヨナラする。

でも翌朝になると、次の誰かがやってきて、夜には同じテーブルで食事を共にする。

小学生の頃の憧れの島、中学時代に切り抜いた雑誌の写真。その国へ行くために、無謀にも小学生の娘をつれて、初めての海外滞在のプランを立て、予約し、翌月には発った。当時はスマホもなかったので、ネットカフェで乗り継ぎ空港の地図を出力し、困った時の英会話文も数十パターンは覚えて、なんとか現地まで辿り着けるよう準備した。

誰も知らない、言語も通じないあのタラップの緊張感がたまらなく好きだ。

 

予想していた通り、言葉も人種もこえて伝わるモノがある。

私は日本人じゃないとよく言われた(笑)

ここで現地の男と結婚しろとも。そうすればよかったかもしれない。

飲んで歌って夕陽を眺めた人とサヨナラを言うたびに、私たち生き物はこうして一期一会の中で生きていけるものなのだと思った。

たとえどんなに寂しくても引き止めちゃいけないし、笑って手を振ることが礼儀。

どのような執着とも心から決別できたのは、あのマングローブのおかげだ。

 

最後の晩、娘は大勢の人々に囲まれ楽しんでいた。皆で歌を唄い、食事をし、とても賑やかで幸せな時間。

陽が落ちた紫色の空、潮が満ちてくる浅瀬の海を、一本のマングローブに向かって歩いて行く。

誰もいない。

私の脚は止まらなかった。

誰も気づいていないと思っていたのに、遠く離れたレストランから私をじっと見つめる一人の男性が視えた。

一週間ほど共に過ごしたサーファーだ。

彼が立ち上がった。

・・・・・・

だから手を振った。

私にとってはパラダイスだった。

 

心のどこかにあるメタルスライムのようなものから、圧縮して圧縮して閉じ込めたはずの何かが突如顕在化する。

タイムスリップのように時をこえて、もういないはずの誰かが目の前に笑顔で現れる。

私にハグしてキスした彼女。年齢も住所も知らないけれど、今も大好きな人。あの笑顔が忘れられない。

名前も憶えていないけれど、毎日夕陽を撮影していたサモアの彼。今も元気でいるだろうか。

最後の晩に、海辺で語り合った人。

あれきり一度も会えていない。

後に「奇跡は準備ができた者にだけ訪れる」と私にメールで送ってきた。

あの時、執着をあの海に捨ててきたから、その7日後の息子の事故でファンタジーを創れたのだと思う。

棄てなくてはならないものがたくさんあった。

それきり二度と私の中に個人に対する執着はわかない。

相手が誰と寝ていようと心から気にならないし興味もない。

執着を棄てるということは徹底的にリアルを視ることだった。

 

若い頃は、年老いた人は記憶が薄れ、心まで変わったように勘違いするけれど、80になっても90になっても生まれた時の性質はなんら変わらないように思う。

ただ記憶を圧縮してどこかに閉じ込めてあるだけだ。

そして死ぬ間際に、爆発するかのような強力なエネルギーとなって、メタルスライムの中身が一斉に自分から放たれるのだろう。

0歳の頃からの記憶・・・・・・

歓喜、悲哀、懐古、恋慕。

身体から放たれたエネルギーは、対象に届かなければ永遠に彷徨う。

愛をきちんと受け取れば、自分の身体に浸透していく。

 

蘇る笑顔の数々は全部あの海に捨てたものかもしれない。

何も持たず何も自分の物としないから、死に逝く人を黙って見つめることができる。

これが最後かもしれない。

今日死んでもいいように生きるというのは自分のことだけでなく、相手のことも含めている。

相手が今日死んでも後悔しないように。

だから愛はおつりがくるほどに出し切っておくのがいい。

 

君の死に際は私が看取る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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