随筆 164

運がいいとかまぐれだとかいう言葉を使う人は想像力が欠如している。

奇跡なんていう言葉も本来はこの世に無用のもの。

起こることは必然。

 

「あなたは運がいい」

という言葉を放つ人は、相手をかなり馬鹿にしている言葉だ。詐欺の手口にもよく使われる言いまわし。

「自分は根拠のない自信がある」

と謙遜ではなく、心底思っている人はかなりまずい。それ以上喋らないほうがよさそうだ。

 

根拠のない自信はこの世には存在しない。

運がよいなどということもあり得ない。

すべて実力、必然である。

この世に奇跡も存在しない。それは単なる結果。

世界で少数の者しかやっていないことを『奇跡』と呼ぶだけのこと。

個人が何を積み上げてきたかを誰もが確認できる、わかりやすいものが『結果』と呼ばれるやつだ。

『過程』をみて想像できる聡明なニンゲンはそう多くはない。

ただしその『結果』ですら、自分の狭い価値観の中にあるものでしか判断できないため、自分より広い視野を持つ人々の『結果』を認識することには困難を極める。

 

ゆえに、自分のことしか見えない眼球と自分の声しか聞こえない耳を持った人などは、近しい人の才能さえ見いだせない。でもその最小の利己的な世界は、ある意味昆虫や鼠にも似て、無駄なエネルギーを使わない最善の生き方かもしれないと、昨今の狂気を見ていて考え直してみた。どうせ死ぬなら世界が狭いほうが何もわからず幸せかもしれない。

そう考えると、どうでもよいことにエネルギーを割き、食うためでない殺戮をし、家畜を喰らい、同種でわざわざ騙し合って不幸な生涯を送るニンゲンの方が馬鹿に見える。

 

自分を素晴らしい生き物だと勘違いした途端、小さな世界で胸を張る蛙になる。しかし『井の中の蛙』を実際に眺めてみるものの、蛙は決してそんな風に胸を張らない。ニンゲンが近寄れば逃げる。蛙だけでなく、動きを見ていると鳥も虫も賢い。上手く他生物と共存している彼らを見るたびに、カブトガニの血やクマの胆汁を死ぬまで抜き続けたり、動物にショーをやらせたり、家畜やペットの去勢をしたり、チップを埋めこんだりするような、極悪非道な退化の一途をたどるニンゲンたちに憂う。

もしかするとそこに光を投じるのは、何も知らず、笑って踊っている人だったりするのかもしれない。

 

……起こることは必然、出会う人とは必ず出会う。

互いの選択の連続の結果が運命である。責任転嫁をするものは自分が選択した記憶すら失ってしまった者たち。

不都合なことから目を背けたいものは、それを語るものから遠ざかる。嘘つきなようでニンゲンは嘘をつけていない。

結果、どんなに綺麗事を吐いても、仮面を被っていても、針金を外した歯列矯正のように先天的資質に落ち着いていく。

どのみち個々の波長で自分の世界は出来上がり、関与する生き物さえ(ニンゲン含む)自分が決定づけているので、自分の波長が変わらなければ何も変わらない。

 

すべての根源は自分だ。

 

真実は虚無 リアルはファンタジー

これは私の造語だが、リアルとファンタジーの境目の住人とやらが一人いる。

きっとこの造語を理解した上で、境目に住んでいるのだと思う。

 

それぞれの波長が引き寄せる現象。

分断されていく世界。

遠ざかる意識体を哀しく見送りながら、ある種の別離を覚悟するため空を仰いだ。

 

 

 

 

 

 

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