随筆 73

自分の人生は、徹底的に自分との闘いである。

自分の愛するものは、自分が決めたもので、なんびとの価値観も一切そこには関与しない。

自分でよいと思うものも同じで、他人が決めることはできない。

どう生きようと自由なのに、わざわざ嘘をついて綺麗事を述べる必要がないので、綺麗事を言う人とは議論するのが無駄である。

自分の世界を共有したくない存在があるならば、それに注目しなければ良い。

そうしたらその存在は自分の世界から消える。

知らない人は幸せである。

知らせる必要がない。

知る必要がない人生だから知らないわけで、知らないことが悪いわけでもない。

強いて言うなら、自分とは合わないだけのことだ。

人間たちはそれぞれに、一番大切なものについて考えが異なる。

同じ方向をむいている人がいないなら、一人で歩いていけばいい。

ホモ・サピエンスだけがこの星の生物ではない。

どうやっても生きている限り孤独になりようがない。

しかし突き詰めたなら更にパラレルになる。

毎日細胞は死んで入れ替わっているのに、それが全部活動を止めたところで、いまと何がどうちがうのだろう。

意識はどこからやってきてるのだろう。

自分に拘るが、拘っても陳腐だ。

自分とは、菌も含めての話か?

自分の白血球が自分の中の別のものを捕食していて、いったい自分とはどこからどこまでをいうのか?

常に身体で自分の細胞に置き換わる、いまさっき食べた別の生物。

これも含めて自分なのか?

どんどん馬鹿らしくなっていく。

私利私欲に走る人の背中がまるでコメディ漫画の主人公に見える。

人のためとか何かのためとか、何をどこで線引きしてるのだろう。

日本という島に限ってのことなのか。

自分の共通遺伝子に限ってのことなのか。

こんなことを考えていたらもっと削ぎ落として純度の高い自分を見てみたくなる。

つまりそうなると原子か……(笑)

それでもなぜかコニーサンを愛してるんだよね。菌も含めたとしてもコニーサン全部を愛してた。

彼の意識が別にあるなら、それと繋がってみたい。

原子になったら意識はどこにいくのだろう。

原子の電荷が意識になるのかな。

確かに脳も電気信号によって「在る」と「感じる」だけで、実際にそこに何もない可能性だってないとは言い切れない。

やはり真実なんて何もない、虚無だ。

リアルだと感じていることは、ファンタジーにすぎない。

どうやってもここに到達する。

すべてが無意味だと思う中で、その世界が創り上げているものにさえ、もう洗脳されたくなくて、一喜一憂したくなくて、本当の自由になるために、時に誰かのファンタジーに合わせながら、私だけの世界を観ている。

カレルチャペックが言ったよね。

鉢の中に宇宙がある

あれ初めて読んだとき、ガーデニングしてたから、よくわかった。

人間も同じだと思った。

自分の中に宇宙があるのよね。

 

今日、悲しんだ人

今日、辛かった人

明日からまた別のファンタジー創ろう。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

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