随筆 74

自分が人を信じる場合、他人も人間を信じていると思い込む。

自分が正直に話す場合、他人も本当のことを話していると考える。

人は誰しも、世界が同じように見えていると錯覚し続けて生きている。

 

あなたに騙されている!と結婚のたびに言われた。バツイチでも処女でも同じだった。

仕事の部下にも、あの人がこういった、あーいった、だから辞めます、と上司にお話を作り上げて消えた人もいる。

なんで私から誘ってもいないのに、私が騙したことになるんだろう?なんで、自分が決めたのに私のせいにしたいんだろう?って真剣に考えた。

そうしたらわかった。

あ、この人が他人を騙して生きてるんだ!

確かに綺麗事という嘘を息を吐くように話している。

あ、辞めたかったんだ仕事!なら素直に辞めると言えばいいのに。

なんのためにそんなことを?

そうか、自分を悪だと感じているんだ。

でもなぜ?

そうか、人間に優劣があると思い込んでるんだ。

どうして?

地球のこと見えていなんだな……

 

自分が嫌なことがあると誰かに擦り付ける人、つまり責任転嫁する人。

でもなぜ?

自分のストレス回避?

もし目の前の人がスキンヘッドのヤクザの親分だったなら、その人のせいにしただろうか?

しないだろうな……

なるほど、その人が報復しないと知ってるんだ、瞬時に見抜いてるんだ。

すごーい、人間の直感って!

となるわけで、私は淡々と人間観察をしてきた。子供の頃から俯瞰的に人を見ていた。

記憶で一番遠いのは1歳。公園で遊んでいたらいきなり後ろからブランコに乗ってた私を突き飛ばした子供がいた。

子供ってどうして事の良し悪しがわからないの?って思っていたから、子どもが大嫌いだった。案の定子供は幼稚園でも小学校でも私をいじめた。髪を引っ張るのも、蹴飛ばすのも、色鉛筆を全部折られるのも、何が楽しいのかさっぱりわからなかった。だから大人と過ごす方が好きだった。

中学生からは40代の経営者たちと連れ立って出かけていた。同級生の誘いはほぼ断っていた。

子供を産んで親になったら、わんさか子どもが私の周りによって来たから、びっくりした。おかしいなあ、子供嫌いだったのになぁと…。でも、話は一人ひとり聞いてあげようと思った。皆、それぞれに自分の思いを我慢したり、悲しかったり、友達に当たったりしてるのがわかった。

私の師匠は過去全てに出会った人間と生命、環境である。

心理学とか、人を探るとか、必要ないと思う。ましてや脳の働きを探るために、チンパンジーの頭をむいたり、ネズミの頭をハネたりするなら、余計にいらない。

嘘をやめれば探る必要なんてない。探りたい人は、理由があるはずだ。

そんなことしなくても、嘘は嘘ですと言葉に表れているし、怒りに手を上げていてもそれは不安や悲しみだとそこに表れている。

孤独になるのが怖くて必死にコミュニティにしがみついているのも見ればわかるし、その人の世界観はすべて行動と言葉に見てとてる。

だから、私には綺麗事はやめてほしい(笑)

利己的なら利己的でいいから、思っている通りに話してくれればいい。

だからって誰かに優劣をつける権利は私にはない。戦争も殺し合いもレイプも奪い合いもあって、私達は呑気にスイーツ食べようよ!なんて言って生きていられるのがわかっている。

自分もとても残酷な人間だと知っているから法律から外れても責めることはできない。ただ、自分がどう生きるのか、しか決められない。

本当に愛し合う存在とつながったり、感謝して幸福になるには、責任を擦り付けたりして自分だけ助かったように勘違いして、周りに嫌われて孤独になることではなく、綺麗事で嘘八百の裸の王様として生きることでもなく、

人間がこの世の中で一番馬鹿な生物だと気づくだけなんだよね。

 

私は残念ながら人間としてこの世に生をうけてしまった。

輪廻転生するなら蚊になりたいと思う。

美しい海と空と大地のある星に生まれてみたいと思う。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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