随筆 75

食べることの意味もきちんと考えたくなる。

菜食主義だからいいわけじゃない。大豆やトウモロコシのために、森林が破壊され、動物が焼かれたり土の中にいる微生物も想像できないほど殺されていたりもするだろう。

人間は地球のガン細胞だという子供の頃の想いを払拭したかった。

だけど私にはできそうにない。

自分の体の中でも、ある細胞がある細胞を殺していたりする。

二日酔いの薬のために生涯熊が檻に閉じ込められ、身体に管を通され、自殺をはかるも死ぬことさえできず、わが子もまた人間という動物に死ぬまで苦しめられるという姿を目の当たりに生きなければならないらしい。人間は金のために想像力を失ったのだろう。

ムルロア環礁で200回近くの核実験をして、それが海洋生物に及ぼす影響も考えず、わざわざおかしなことをして家畜の肉をやわらかくし、小さなうちに殺し、ペットのタマを潰し、農薬で昆虫を殺戮する。稀少価値の高い象牙が欲しいために殺される象たちや、母親と離されて、水族館でどうでもよいショーを人間に見せるために支配されるイルカたち。

一生動物なんて見なくても困らない。わからないことはわからなくてよい。

この傲慢極まりない、ホモ・サピエンスという動物に生まれてしまったことをとても悲しく思う。

それでも人間は……と自分たちを正当化する言い訳を山ほど考えても、総合的にみて地球にとっては害悪にしか見えない。

もちろん、自分を含めてだ。

善人ぶっていても、自分も自分に流れる古の祖先も、不必要な殺戮に荷担したことがないとは考えられない。何も考えず、命を繋げるためだけでなく、必要以上に殺しすぎている。

ビルの中で働けるのは、他人に自分の食い物を作らせていたり、獲らせているからだ。スーツを着てパソコン相手に働くことが遠い大地で土にまみれて働くことより偉いわけでは決してない。

生命を操作してたくさん産ませるから、たくさん殺される。

人間だけを助けて、この世に人間の割合が多くなれば、地球のバランスは崩れて自然治癒力が働き始めるかもしれない。それは殺し合いかもしれないし、飢餓かもしれない。エボラウイルスやエイズのような病かもしれないし、熱波や自然災害かもしれない。ホモ・サピエンスという一括でホモ・サピエンスに循環し、悪意も還ってくるとしたなら、愛あふれる人が淘汰される側にまわる可能性もある。

知的好奇心からくる生きた動物の実験をする科学や、動物に試さないと安全かどうかもわからない化粧品や薬品を消費したりして荷担するのは、なるたけやめたいと思う。

スーパーに並んでいるのは、商品ではなく、他生物の命である。ドラッグストアに並んでいる物も、その原料の背景を考えなくてはならない。

そんなことを考えていたら生きていけない?

そんなことを考えればきりがないほど、人間はそういう行為を続けている生き物だ。

きっと、自分も必要以上の殺戮に手を貸してしまっているのだろう。

止められなかった自分の責任でもある。

万物の恵みに感謝すると同時に、ホモ・サピエンスの悪行に懺悔する。

 

帰宅してすぐに起きていたサファイアを外に出した。

自由に放してやれなくてごめんよ、みんな。

今日も皆さんありがとう。

 

 

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