私はずっとそう思って生きている。
だから、出会いは覚悟がいる。
たった一度でも二度と会わなくても何ができるのか、いつも考えていた。
若い頃は青二才で、大したことも知らず、勉強(独学)も足らず、机上の空論より体得主義で生きていたものの、その体得が圧倒的に足りなかった。
娘が中学生になってシングルになり、フルコミ営業で盆正月もなく各地を飛び回った頃は、1年でゆうに1000は超える人と出会った。
あの頃は会う人会う人を好きすぎて、恋愛の気があるのかと勘違いされて大変だった。
その後本が出版され、講演などの依頼も来て、HPも開設し、徐々に本音を書けるようになってきたので、読者の皆さんにはご理解いただいていると思う。
私が男を必要としていないこと(笑)
というか、老若男女にあまり差はない。誰とでも出会い。
教育事業に興味があり一時期そっちの方向に進んでいたが、すぐに気づいた。
教育って傲慢だと。
地球は初めから必要なものを与えてある。
システムが国という境界ごとに多少違ってはいるが、皆同じ人間で大差はない。
途上国に長く滞在する私にとって、出会う人は日本人とは限らず、言葉も何語かわからない。
でもスタンスはいつも同じ。
何かにとらわれて、それが要因で未来に希望を持てないでいるとしたら?
自分はもうこの闇から抜け出せないと思い込んでいるとしたら?
顔を上げて周りを見渡してみれば視野が広がるかもしれない。
群れで生きる私たちは皆何かしら悩みがある。
だけど、同じだけ解決法もある。
教えるのは傲慢だ。
第一、正解など誰にも決められない。
でもただ、何かに気づいてもらう事が出来たら、その人はひとりでに人生を好きなように変えられるんじゃないかと思った。
それでどこにもない講演セミナーを創った。
三度の結婚離婚、夫の浮気、虐め、シングル、育児、小学生時に死を宣告された大病、上場企業の仕事から派遣での支店長代理、起業までの経験、40を過ぎてから途上国各国への滞在、田舎移住、親の介護、何より長男の下半身不随からの奇跡など、体得の量も適度に増えた。
もちろん誰にでもドラマはあるが、なぜか出会った人が私に同じようなことを昔から言うので、それを真摯に受け止めた。
「今日で人生変わりました」
「ものすごくパワーをもらえました」
「自伝を出した方がいい」
「本を書いた方がいい」
「あなたみたいな人と初めて出会った」
自分では生まれつきなのでこれが普通。
40を超えて政治家から経済界の人まであらゆる人と出会って、様々な人の意見を受け止めた結果、自分は他の人と何かが違うのかもしれないと気づいた。
皆同じような考えだと思っていたから
「こういうときってこうするよね?」
という私の行動が周囲と合わなかったのだ。
中学の友人に
「あなたはアメリカンだから(笑)」
と言われた。
中学生の頃、区内で最も非行が激しい公立中学において一応優等生だったはずなのに、ある日非行グループの女子からこういわれた。
「影番」
同級生の非行グループの男子たちは私にいつも敬語で話した。
その頃は何故だかわからなかった。
それを私は本や講演の柱にした。
沢山盛り込んで、何か一つでも二つでも自分の人生が幸せになる方法に気付いてほしい。
ただひたすらにその思いで壇上から話しているし、記事も書いている。
でも中には私を嫌いで顔も見たくないって人もいる。
そういう人は、会えば相手が不幸なので関わらない。
つまり縁を切るのである。
離婚しても縁は切れない。
15年20年会わなくても縁は切らない。
でも私を忌み嫌う人とは縁を切る。
それが相手にとって幸せだから。
誰かに執着したりはしない。
扉はいつも開け放し。
でもできれば一期一会がもっとも好き。
明日逢えないからこそ全力で愛を放出できる。
コロナ前のようにたくさんの人の風になりたい。
風のように通り過ぎていきたい。
講演、主催してくださるならどこにでも出向きます。
宜しくお願いいたします。
MAHIRO SHU
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