随筆 102

かつて、10年私を待ってくれていた人が居た。

10代の頃、半年アルバイトで働いた会社の社長は、私のことを社員たちに語り続けていた。

それまでも近況報告がてら客として社長に会っていた私は、離婚直後、その報告をするために社長の店を訪れた。

間髪入れず社長は言った。

「明日からうちで働いて」

社長の大きな期待に応えるほど、当時の私は心身が健康でなく、ストレスによる両耳の難聴の中での復職で、加えてまだまだ離婚に偏見のある時代だったため、体調が悪くて休んでも、遊びすぎによる疲れで仕事をサボっていると社長にさえ誤解された。

今のように自分の考えを人に伝えることもなく、言い訳もしない私は、大抵どこへ行っても誤解された。弁解したこともない。

社長は私と一緒に住もうと言ったし、事故で車を大破させたと言うと、ベンツがあるからそれに乗ればいいとも言ったが、私はその大きな期待に応えて、生涯ついていく覚悟がどうしても持てなかった。彼女のためにも出来るだけ早い時期に、右腕になることはお断りすべきだと思った。

現在は、仕事をしても文章を書いてもクレーム一つきたことがない。若い頃、あることないこと言われてきた私にとっては夢のようである。

なぜ、私を待つ人がいるのか未だに理解できないが、社長と同時期にやはり10年私を待ち続けた人がいた。

友人づてに聴いた話では、家も用意し、私が離婚するまで結婚せずに同級生が待っていたということ。私の離婚直前に、あきらめて彼女と結婚したところだった。

でも待たれても彼と結婚することはなかっただろう。結果的には別の人と結婚してくれてハッピーだ。

運命には間違いは起こらない気がする。

10年以上待ってくれた人は、他にも何人もいるが、もちろんこちらはそんなことはつゆ知らず……後々になって驚くことばかり。

そうして現在(いま)自分の10年を振り返り、考えることがある。

そういう人たちの想いを、果たして自分はきちんと受けとめられたのだろうか?

我儘な私は、彼らのどの想いにも応えられなかった。子供の頃から基軸が決まっているため、仕事もそこから外れた人とは組めないし、雇用されていても会社の方針がそれを外れると辞めることになる。

大病ばかりして、いつ死んでもいいように生きようと小学生の頃から考えていたため、納得のいかないことにイエスとは答えられなかった。

だけど、最近は思う。

待ち続けてくれたのに応えられなかった人々に対して、私ができることは何なのかと……。

やはり、私自身が徹底的に自己実現に向けて諦めずに生き抜くことなのだろう。

ずっと近くで私を見守ってくれている親や子どもたちに対しても同様に。

哀しいかな、愛は一方通行なもので、互いに想い合うことは奇跡みたいなもの。愛されるから幸せになるというわけではなく、自分か愛するからこそ幸せになるというもの。

たとえ独りでいても幸福を持続するには、愛する対象が多ければ多いほど可能だ。ニンゲンだけでなく、森の中で動物と共生して幸福な人はきっと大勢いると思う。

けれども、もし奇跡的に愛し合った存在に先に逝かれてしまったりすると、自分も死んだようになることだってあるかもしれない。

動物は愛した相手が先に逝くと、食べなくなり後を追うものがいるという。ニンゲンは主観的な意見だけでそれを不幸と定義したがるが、そうではないのかもしれない。

遺されたものが、悲しみや辛さと向き合うことができずに、自分の不幸を死んだ人のせいにしているだけなのではないか。

一切の強制も受けず、自分の脳みそを使って自由に選択することができるなら幸せだ。その選択が愛した存在と共に生を終えようとすることであるなら、言葉に出来ないほどの悲しみでも、本人は幸福なのかもしれない。そのような死は、誰かに愛してほしかったと思いながら自殺することとは一線を画す必要があるのかもしれない。

死ぬとき後悔するか否かに、愛は大きく関与しているように思う。

誰かに愛されたいと願いながら孤独に逝くのは不幸だが、傍らに愛している存在がいて逝くことは幸せではないか。

そう考えると他者から愛されることよりも、自分の中に無限の愛を持つことが、幸福の源なのだと確信する。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

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