随筆 103

雨がやんで、山の頂が美しくなる。

かつてビルの谷間から見ていた空と、ここの空とでは、同じ命の時間を費やす環境として、あまりに差がありすぎる。

子供の頃も家の窓から空を見上げ、同じようなことを思っていた。

こんな風にアスファルトで塗りかためて、星も見えぬ空で、地球は大丈夫なんだろうかと。

コロナ禍により、内省する機会も増えていると思われるが、孤独というものは、自分の心に素直になることにも繋がる。

元来群れることが好きではなく、孤高を保ってきたおかげで、万物を仲間とみなすことができた。ニンゲンは独りでは生きていけないというあの言葉は、大抵の場合、他者とのかかわりを意図しているのだろうけど、私はそれを地球だと考えていた。

ニンゲンがいなくても困りやしないけど、土や水や植物、そしてそれをとりまく環境、つまり万物のおかげで自分が生きているということはよくわかる。

もちろんニンゲン同士、搾取したり殺戮したりせずに頭を使って平和的に群れることができるならそれにこしたことはない。

好き嫌いが明確で、かつ嫌いな生き物がとても少ない私は、その狭い嫌いの枠に入らなければ、誰とでも何とでも共生はできる。

誤解はあっても同じニンゲン。話せばわかるはず……と性善説を信じている。

人の気持ちを理解するには、自己分析を徹底的にして、出会った数々の存在から学ぶことが大切だ。思い込みを捨てて謙虚になれば、同じ生き物に大差はないとすぐに気づく。

相手の思考を理解できて初めて、愛したり信じたりできる。ニンゲンは理解できないものを恐れる。どんなに紙切れをもっていようが、綺麗に飾っていようが、生き物に大差はない。

大差はないから人の心を読むこともできる。それを悪意で使えば他者をコントロールし詐欺ビジネスになるが、善意で使えば、思いやりを持てたり、相手を尊重し、待ったり見守ることもできる。

理解することと愛することはとても近いような気がする。

けれども哀しみを受けとめることが重要だ。受けとめきれず、自分の心を楽にするためだけに、目の前の報復しないであろう善意の人に、故意に責任転嫁する大人は、見ていて非常に醜い。

その意識は周囲に自ずと伝わる。どんなに大人ぶっても、我が子にも信頼されることはないだろう。子供からやり直す必要があるのかもしれない。

私は、火事の前に逃げる鼠のあの感覚に恋焦がれている。幼少期、霊視する祖母を見ていて、ニンゲンにもシックスセンスがあるはずだと思った。

無いとしたら、その人は目で見たものしか信じずに、退化してしまったのだろう。または、言葉に依存しすぎて退化してしまったのかもしれない。

いま、時代は小さな転換期を迎えている。

この僅かな転換が、後の世界を二分するかもしれない。

すっと昔から待っている、あのような世界が、多くの人の意識が集結し現実化したら嬉しい。

愛を持つ人と持たない人。

それで分かれるのが一番早い気がする。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

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