随筆 111

この年齢になっても思考は進化する。

かつての自分と遠くなった今の自分の世界観に否応なく気づいている。青二才は『お試し期間』を『完成』だと勘違いし、偉そうなことを他者に『教え』誰かの人生を迂回させてしまうのである。

かといって老齢者が何もかも熟知しているかといえば決してそうではないのは、子供時代におかしなことをいう『大人』がいたことを記憶していれば誰しもわかっているところだろう。

死ぬまで完成しないのが真実の追求であり、飽きないことがわかっていたので人生の目的とした。

他のことならすぐに面白くなくなったろう。

ニンゲンの創ったお話はいつもお話であり真実ではない。

だからこそ自分はバカだとわかるし、他者の価値観を変えようとも思わない。

そもそも何が正しい間違いの論争は無駄なエネルギーである。

その人が正しいと思うことはその人の世界ではそうなのだ。

その人が自分はこうなると心底思っているからそうなる。

今のところ私の世界観では、そう視えている。

意識は面白い。

 

自分のいる圏内からほぼ出ることがないが、私にとっては外出を控えるのは快適だ。

村から出ることがなくても「好きな場所」に定住したので行きたい場所もない。

徒歩10分圏内に百貨店があるような都会のど真ん中で生きていたニンゲンが、このような暮らしに転じるのは『常識』をぐるりとひっくり返すような価値観の転換を伴う。

が、すべて想定内であり、想定外だったことは村の人々をとても好きになったいうことくらいだ。会う人会う人、好きなのである。

私のようなおかしな暮らしをしてきたニンゲンを誰も排除しない。

キーは自立。

村には自立と助け合いが現存していて、隣の人に知らん顔なんて人は要らない。自分のことは自分でするのが当然。循環させるのも常識。

途上国で住みたいと思うのも同様で、絶対的な自立心がないと、あの不便で言葉も通じない場所で、『異端者』として死ぬまで住み続けることは困難だとわかるからだ。

引き寄せの法則なんて言葉がなくても、同類は同類を呼ぶ。

ステイタスや肩書、言葉よりも、生命と生命を結びつけるものは意識であろうという証を欲しい、という思いもある。

身体を使って動き続け死んでいくのが動物の基本だと思うので、怠惰な暮らしができない場所に行きたいというのもある。

便利なものは脳を退化させる。

半世紀ほどそれを軸に生きているのに、いまやっとそこに向かうスタート地点に立ったひよっこである。

自己完結を目指してまだまだブラッシュアップしたい。

 

富でない富を手放し、本当の富を手に入れていくのが何より面白い。

とはいえ確かに失うものも多く、一期一会のごとく、出会っては消えていった人々。

孤独の恐怖があったり、失うことが怖い人にはこういう生活はむかない。

刹那ではめいいっぱい愛しぬき、言葉を交わし傾聴し、笑ってさよならする。

別れはつきものなので仕方なし。誰かに執着はしない。

どんどん余分なものが自分から消えていく。

以前の関係者から見れば、私は友人をなくしたようにみえるらしい(笑)

誰かと会うために都会に出るほど暇ではない。

子供の頃から群れるのが嫌いな私は、日本で生きてきた中で、今が一番充実し、満足できているように思う。

 

結局、いつも原点に還る。

自分の意識が自分の世界を創っている。

何を信じるのも個人の自由で、好きに世界を創ればよいだろう。

優劣や正誤を決めることでしか、自己存在意義を見出せないのは哀しい。

誰がいようといまいと自分は生きている。

スピーシーズの最期の一匹になろうが自分は自分である。

喰って出して交尾して寝て、いずれ死ぬ。

生命とはシンプルなものだ。

他のことは皆おまけのようなもの。

今日を嘆くよりもめいいっぱい喜んで生きて、自分が殺した多くの命に報いる愛くらいはもっていたい。

今、生きている自分の命と、殺されて喰らった豚の命の重みは同じだと思うから。

 

今日も万物にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

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