ヒトに深く関与しない若者が増えたというけど、若い子たちはみなガッツリと私と密になった。
綺麗事の『人それぞれ』と本気の『人それぞれ』は全然違うはず。
サピエンス全体を大したことないと思うという価値観は、とりもなおさず自分も大したことないと認識しているわけで、となるとヤクザから政治家まで同じヒトで、高齢だろうが小学生だろうが自分よりすごい才能を持つ人はいるわけで、学びは絶対にあるわけで。
人それぞれ密度の濃い関係になれる。
最近の世界を視て思う。
支配者と真のリーダーとは似て非なるものと認識すべきなのだなと。
見返りを考えずにただ思いのままにしていることが、結果的に周囲のためになり認められ
「そうか、これでよかったんだな」
と自分の行動に安堵するものが本来の承認。
単なる承認欲は利己的な理由(愛することもしないで愛してほしいだの、何かを積み上げる努力もせずに見てほしいだのという幼稚な心根や、怠惰な自分を顧みず誰かの功績を安易にコピペする虚栄心による利己的な想い)で自己の何かを他人に認めさせようという澱みみたいなもの。
また誰かの苦痛を強いるもの、例えばサービス残業や不自然な規則を課すなど、違和感しかなく誰の幸福にもならないが支配者の『利益』にだけはなるもの、に荷担することは賢明ではない。
多分、必ず人の幸福のためになることを教える、もしくはする人が本来の指導者なのだろう。
トップがおかしい組織は三日もあればわかる。
部下を指導できない管理職もすぐにわかる。
関わる組織の指導者や支配者の行動をみるべきでそのような群れに所属するものは、何かあれば自分で選択しながら組織や上司に責任転嫁する。
同じ穴の狢。
日本は『綺麗事』という言葉があるが、それは『空気を読む』と同義ではない。
何かを強いられるときは、自分の幸福につながっていくことか、不幸に堕ちていくことかそれだけ判断すればいい。
「努力して得たものだから」
という執着が海の底にあなたを沈めてしまう。
苦しみを伴うなら即座に執着は捨てるほうが幸福。さらに無駄な時間を使わずに済むから。
幸福の世界に向かうならそこでは幸福に生きている同類と出会う。
搾取と依存は支配と繋がる。
自分が生きるか死ぬかは『自分』にかかっている。動物は誰かのために生きない。
「これが真実だ」
「このエビデンスは・・・・」
など人間の創作よりも、全生命体に共通する原理を見つける。
出会う人とは必ず出会う。
ジョージ オーウェルはもう死んだけど(見てないから実在したかどうかもわからないが)彼が書いた本がヒントになったのか、彼自体が未来の予定を記したのか、1949年に出版された本を読んで今の世界を思うところあり。
クリエイターのファンタジーが悪用されるとするなら、研究と同じで、世に出すときに承認欲よりそこを考えることが肝要だと思う。
自分で創って、または発見しても、誰にも知られずに墓場まで持っていくことも必要かもしれない。
昼と夜があるように全員が光ではないと私は思う。
闇を切って捨てる勇気がある人だけが光を放つのだと思う。
自分の中にも必ずある。
「理想はこうだけど現実的にはこっちだよね。」
って。
理想が自分にとっての光だ。
理想と現実は違わない。
できる限りそれに向かい完了して死ねばいい。
誰かに誰かの人生を決める権利はない。 皆おなじ命をもって生まれてきている。
ただ自分とはちがうと認め、涙を流してもさよならするしかない時もある。
もっと俯瞰的に見るなら、地球がいま癌細胞を自然治癒させるときに来たのかもしれないとも考えられる。
ならそれを受けるしかなく、自分が淘汰されるのも仕方なし。
さらに掘り下げるなら、意識が映像を創るので、実際に目の前に生き物が存在するかどうかもわからず、人生すべてが独り芝居だったといつか気づくことも考えられる。
本当に存在するのかさえ証明できない。
隣の人が視る赤と自分の赤が同じだと証明できないように、真実は虚無だとしたら・・・・・・・
徹底的に幸せなファンタジーを創らなきゃ意味がないだろう。
今日も皆さんありがとう。
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