随筆 56

孤独が怖くて不安になる人があまりにも多いように思える……

人は生まれてから死ぬまで、自分は自分以外の何者にもなれない。

ニンゲンが生きている普通の世界にいれば、どの国にいてもどのコミュニティにいても、独りになりようがない。コンビニへいけば店員は話をしてくれる。笑顔もくれる。

強いて言うなら、眠るときにベッドに独りっていうことくらいではないのか。

誰かを独占することで、孤独の穴埋めが出来ると思いこんでいる人は死ぬまで孤独の恐怖がなくならない。

独占は愛ではないことを動物はみな本能的に悟っている。

何処にいても誰といても、自分は変わりようがない。他人や物がなければ自分の存在意義を見いだせない人は、リアルが見えていないのかもしれない。

孤独が怖くて、相手に執着しているだけの人は、愛ではないから、相手の幸せを願わない。相手が自分から離れそうになれば、全力でそれを阻止しようとする。夫婦の共依存や、親が子のコントロールをすること、仲間内で一人だけコミュニティを抜けることを阻止したりするあれだ。

本来は、相手が誰を好きになっても自由で、もしも自分よりも共に生きたいと思う相手が現れたら仕方がない。誰と付き合うか決めるのは本人の選択でなくてはならない。

愛しているからこそ、相手の人生を強制するような傲慢さは持てないのである。

自分は徹底的に自分を確立しておくこと。そういう人が信頼され、安心され、結果的に自然に人が集まる。

自分を信じていない人を、信じるバカはいないし、自分を守れない人は家族を守ることもできない。

私達はとても恵まれている。雨風をしのげ、衣服があり果ては税金で教育迄受けさせてくれる。そういうリアルを完全に無視して、自分は孤独だなんて思うことは幻想ではないのか。

自分に合わせてくれることが愛ではない。それは単に都合がよい人間なだけだ。

自分以外に責任を転嫁する前に、自分が何に恐怖を感じているのか、それが先に解決すべき問題なのだろうと思う。

思い込みで生きている人は、利己的な恐怖の穴埋めを愛だと呼ぶが、私の世界観での愛の概念はそれとは真逆なものである。

相手に利己的な恐怖、つまり自分の弱さを、愛だなんて言葉に変えて騙すことは、その人自身が永遠に幸せになれない方法のひとつだ。

もしも、視点が自分の中ではなく外に向いている人がいれば、その恐怖の矛先を自分に向けてみてほしい。

 

それでも恐怖がなくならないというなら、傍らに居る人を独占する前に、ありがとうを伝えよう。

 

一緒に生きてくれてありがとう

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