随筆 139

過ぎた時間に想いを馳せ、それを生きる糧にすれば、良くも悪くも体得として経験値がひたすらあがっていく年齢の積み重ね方ができる。

過ぎた時間に執着し、過去の人間を馬鹿にしたり恨んだりする人は、死ぬまで不幸な悲劇のヒロイン気取るおじさんおばさんになる。

 

やりたいことがあって、それをしても死なないのならチャレンジすればよい。

明日のこと(未来)を決めつけるのではなく、やってみないとわからないという真実を冷静に受け止める方が良い。

チャレンジした分だけひたすら昇っていくのがニンゲン。

時に失敗して命を落とすこともあるから、リスク管理は併行して必要。

失敗をあざ笑い、他者より優位に立っているかのように何もせずに傍観して胸を張っているものは成長しない。

想像力は生きている思考回路の数。

 

たとえば『老害』なる言葉を使う若者は、想像力に乏しい。

確かに依存や権利ばかり主張して、若者にも国にも感謝の欠片もない高齢者も存在するだろう。

しかし前者のような果敢にチャレンジする人が80年生きたら、それは同時に恐ろしいほどの経験値と智慧や洞察を持つ人格者ということになる。

言葉にはその人の世界観が表れている。

自分の身内や周囲にそういう尊敬すべき年輩者がいないか、もしくは自分自身の思考回路が少ないかで、同調圧力に右に左に動かされ容易に流行り言葉を使う。

その言葉は常日頃潜在的に自分が思っていた意識と一致する。待ってました!!というばかりに表れたもの。大多数の人間が考えていたから流行りになる。

肩書がなくてもニンゲンの創った銀行通帳の印字の桁が少なくても、自立した愛の深い高齢者はいるし、子や孫に迷惑をかけないために懸命に努力している高齢者もいる。

そのような高齢者とばかり知り合う私から見れば、そういう方々の智慧は真摯に傾聴すべき宝なのである。

 

「陰謀論に騙されてた母親」

などの記事をよく見かけるが

「ネットは嘘だ」

などと決めつけるインターネットで勉強をする観点がない者や、自分の方が判断力が高いと決めつけている者が、中高年を揶揄した思考回路の少ないニンゲン達の放つ言葉である。

これも常日頃潜在的に自分が思っていた意識と一致する。待ってました!!というばかりに表れたもの。大多数の人間が考えていたから流行る。

もちろん、誰が何の目的で拡散しているのかも考えられず、自分の思考回路を活用せず『鵜呑み』にする者もいて、落とし穴に自ら突っ込んでいくことも無いとは言えない。

ただ、その百の陰謀論の中に一つの事実がある可能性は高く、一つ一つ検証する作業が重要である。

誰かの意見を虚栄心や承認欲なるしょうもないもので怠惰にコピペするのではなく、全体像を理解できる程度の基礎学習は必須である。

信頼のおける論文や、グーグル先生を活用した外国語の記事、公的なHPなど、素人でもできることはいくらでもある。

野次馬根性などによる芸能人のゴシップをスマホで検索する指を、理解できないワードを検索する指にかえるだけで、1年もすれば基礎は視えてくる。

インターネットほど、それが簡単にできる代物はないだろう。

大学に入学する必要もなく、文献を図書館に探しに行く必要もない。

昔、図書館で調べたい分野のコーナーの本をすべて借りて読んでいた頃から考えれば、比べ物にならないくらい有難い。

ただ、データは常に書き換えが可能なので、古い文献を手元に置くことも、脳の記憶をバグらせない一つの方法であると思う。

 

絶対的な経験値と知識の融合は創造力を生む。

誰かに語れるものは自分の経験しかない。

それ以外は虚栄による嘘であり、ヒトはそれらを『言葉の重み』としてシックスセンスで信頼度をはかっている。

知識だけでは誰かの貼り付けにしかならず、信用に値しない。

仮説をたて経験し、確認のために世界から答えを探すとき、先人が証明してくれていることが著されていたりする。

求めるものはいずれ見つかる。

私にとってはそれがアカシックレコードなのである。

自分など単なる生物の一種。

ニンゲンは所詮ニンゲン。

パターン化されている。

バイオリズムのように繰り返される波長。

 

綺麗事をつぶやけば綺麗なのではない。

言葉に乗る個々の想念が美しくなければ意味がない。

それがたとえ『バカヤロウ』でも愛のあるバカヤロウは存在するのだ。

 

輝く星の下に、すべての生命が自由で、生きるものは生き死ぬものは死に、美しき世界であれ。

喜んで命の時間を使おう。

万物にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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