随筆 154

生き物はこの世に生まれ、必ず死に向かう。

その一方向にしか進まないのが絶対的な事実である。

ということは今のこのニンゲンが創りあげる虚構世界も、何もかも正しいとしか思えない。

ヒトなるものが本当はいつ生まれ、どのように進化してきたかは私にはわからない。(机上の空論を信じないとしたら)

種として地球に生まれたヒトも、必ず絶滅する時が来る。

地球もいつか死ぬだろう。

それが自然の摂理。

 

昨今のニンゲンのお話創りに矛盾が見られたとしても、そもそも自分たちが『終わり』に向かってしか生きられないのだから、当然と言えば当然の流れ。

自分で考えたと信じ、胸を張って高みの見物をしていたとしても、地球が動かしている一細胞に過ぎないのかもしれない。

自然治癒したとしても、実際は死の先延ばしで、絶対的な真理に対しての無駄な抵抗だ。

その細胞同士で、誰が正しいとか間違いとか優劣競争であるとか、ちゃんちゃらおかしい。

きっと地球は馬鹿らしくて笑っている。

 

栄華に視えたこともすべて衰退に向かっていたということだ。

つまり栄華なんてこの世にはないのだ。

楽しかった思い出・・・・・というくらいのものだろう。

 

他生物たちは、正当な抵抗はするが不自然な死への抵抗はしない。

そうするとニンゲンは他の生き物に比べてとてつもなく恐怖を強く持つ生き物なのかもしれない。

つまり支配や依存、嘘つきなどはすべて恐怖で生きている者たちなので、スタンダードなニンゲンということになる。

稀に見られるそうでない人種は、別種なのかもしれない。とはいえ、それも大した問題ではない。

やはり命の時間は死へ向かうことしかできないのだ。

 

恐怖に苛まれたものは、その地球の細胞一つ一つをコントロールしたがるよくわからない脳を持っていたり、誰かが自分を助けてくれると思い込んでいる脳を持っていたりして、他生物の命を殺して喰らっていることに何の責任も感じないような生き方をしていると思われるが、そうでない生き物も似たり寄ったりで、自己満足のファンタジーを創って笑って死ぬだけの地球の一細胞であることに変わりない。

真理に逆らうようなエネルギーは温暖化のガスより無駄なのである。

環境をよくしたいなら、誰かが作ってくれる新しい『人工物』をじっと待つのではなく、己の生き方を変えるのが最も早い。

死に向かっていると理解するだけで、今日その嘘が必要なのかどうか簡単にわかるはずである。

先延ばしはできるだろう。

一細胞だとして、自分のアポトーシスも自然に起こる。わざわざ誰かが何かをしなくても自然に起こる、必ず起こる。

せっかくサピエンスと呼ばれるような生き物に生まれたのなら、名前負けしない賢い生物として死んでみたいものだ。

まさかゴキブリや鼠よりもバカだなんて言ったら、その辺のコメディ以上のコメディである。

やっぱり詐欺師はバカに見えるから嫌いだ。

それが『ニンゲン』という生き物だというなら、好きだ嫌いだなどと考えることも無駄な抵抗かもしれないけどね。

 

 

 

 

 

 

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