願望ではなく、どうしてもそうなるとしか思えないこと。
説明がつかないこと。
それが……
私の概念では直感であり、思考の現実化の鍵となるものだ。
微細なことは、変動する。
大まかなイメージ、到達する場所などが私の頭の中にはある。
かつてイメージしていた漠然としたものより、さらに明確になり、いまやSF映画さながらのファンタジーが出来上がってきている。
あとは登場人物と次々に出会うだけ。
それでも徹底的にリアルを見なければならない。夢ではなく現実を。
生きているから創造出来る。
風のように通り過ぎる存在にも、私の体の中に入る植物にも、腸内フローラにも、アフリカで握手していただいた各種菌類にも感謝。
コニーサン達との出逢いにも、深く深く感謝。
面白くて面白くて仕方ない、このノンフィクションファンタジー。
皆さんにも伝わるだろうか?
なんで私が何も怖くないのか?
私達、成熟した大人は、種として子孫繁栄と地球の循環のために何ができるか考えられるはずだ。大きなことではない。誰にだって出来ること。
ファンタジーを創る前に、病気にならないこと。動ける身体を用意しておくこと。そして本当の仕事をすることができる。
消費者心理を読んで騙したり、恐怖を煽ったり、私利私欲に走ったりするのではなく、幸せのために生命と出逢いたい。
生命とはホモ・サピエンスだけに限らず。
蚊はあんな小さな身体でニンゲンを死においやる。マダニもリケッチアなどでニンゲンを殺すことが出来る。
ネズミも無人島に上陸して、ある特定の鳥などを絶滅させたりもできる。
地球の大気や海を切り離すことはできず、私達の行動は必ずどこかに影響する。
新しい生命との出逢いを恐がっても広い視野で見ればあまり意味がない。自然淘汰だ。
宇宙の活動も含め、私達の行動は微々たるものかもしれないが、その微々たる行動の積み重ねが、アスファルトで塗り固められた街を造った。
そこにいた植物や微生物、動物たちはどのくらいニンゲンに殺されたのだろう。
きっとそれも自然の流れ。
ある時、地球にこのような生き物が湧いてきて、こうやって他生物を殺戮することになっていたのかもしれない。
小学生のころ、そんなニンゲンを俯瞰的にみていて、私達先進国民は地球のガン細胞なのだと感じた。
自然治癒力が働けば、ニンゲンは消えていくのか。ならば、何をしても無駄かもしれない。
しかしまだ私達ニンゲンに出来ることもあるかもしれない。
そう考える人々があちこちで存在すること自体も必然なのだ。
政治かもしれない。
教育かもしれない。
ビジネスかもしれない。
アートかもしれない。
特定の人や、特定の何かだけが正しいという人を私は信用しない。
何にも盲信しない。
地球はそんな短絡的な価値を持たない。
個々に在る役割を、個々がそれぞれにきちんと全うすることで充分価値がある。
そんな大したことのできない自分に、波長導通する存在、ニンゲン、場所(微生物や植物、動物まで含む)、動物、食べ物、道具などまで、どれも優劣なく感謝する。
つまりあなたにも、私の身体を助けてくれている有益な菌たちにもだ。
もう少し細かく見てみよう……
すると、私は私ではなくなる。
知らない間に白血球が私の中で死に、知らない間に私の中で、アミノ酸が働いている。ミクロコッカス属などの皮膚の菌から、数百億ともいわれる常在菌が、私の身体で生きている。
果たして私は本当に私なのか?!(笑)
昨日、自分のものなんて何もないと書いたけれど、自分の身体すら自分のものじゃない可能性が高い。
となると、私利私欲に走る目的はなんだ?人を騙す人は何を見てるの?そもそも何だろう私利私欲って?というような世界に突入していく。アホらしい(笑)
やっぱり私達は単に地球の中の細胞の一つみたいなものだ。
地球はもしかしたら宇宙の細胞みたいなものかもしれない。
義務教育で地球や細胞を習ったときから、そんな風に考えていて、先生、あなた方の授業、全然無駄にしてないから!と伝えたい。
とどのつまり、自由に生きればよい。
悲観的に生きても、細胞は喜ばない。ストレスによる糖質コルチコイドを生産されすぎると、他の細胞に毒だ。
自分の中にある細胞や常在菌や腸内フローラを守ってやることができるのは、一応この体と脳のシナプスたちだ。
脳細胞よ、もっと創造性を高めろ。
壮大なゲームの主役になろう。
私達は全部の中の一部だ。
完成体になることは永遠にない存在なのだ。
だから、真実はわからない。
きっと何もない。
アポトーシスのように死んだら終わりなのだろう。
真実は虚無 リアルはファンタジー
せっかくなら面白いファンタジーを創ってその通りに生きてみよう。
皆でノンフィクションファンタジーやりませんか?(笑)
今日も皆さんありがとう
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