随筆 68

何かを欲しがるその想いは、本当にそれを手に入れられるのか。

それを思考の現実化と呼ぶのだろうか。

多くの人が欲しがるモノ、例えば健康、愛、地位、名誉、肩書、称賛、威厳、お金、人徳など。

冷静に観察していると、どうも欲しがる人ほど手に入れられないように見える。

そもそもこの世の中に自分のものなんて身体くらいなもので、その身体さえ健康や美しさを保てず、セルフコントロールできていないのが殆ど。

なぜ、そんなに欲しいのだろう。

何かが本当に個人のものになると思っているのだろうか。

欲しがる人は何かを恐れているのではないか。

何かを失うという錯覚は、それを所有しているという思い込みから生まれている。

私達は何も所有できない。

都合よく誰かが創ったシステムをとりあえず採用して、所有していると訴えているだけだ。

ニンゲン以外の動物は、肩書も地位もお金も愛もほしがらない。

縄張りはあるが、いつ誰に奪われるかわからないような危うさがある。

本来はそういうものなのだと思う。

 

そんな中で、欲しがってもいないのにずっと傍らに在るものがある。

一人でいたいと思っていても、たくさんの人が周りにいる。

出逢いに興味ないのにどんどん出逢う。

知らない間に、自分には縁のなさそうな不思議なコミュニティの中にいる。

だけどある日すべてがなくなったとしても、私は生きていけると思う。

何も持たずしてすべてを持っているというのが、この地球の上の生命なんじゃないだろうか。

 

地球の恵み、土の中にいる微生物や皮膚に住む常在菌にまでありがとうを伝えたい。

 

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