随筆 20

遠い場所だったはずのどこかが、ある時を境に故郷のようになることがある。

今日、息子があの大陸に向けて発つ。

子どもの頃から、いつかアフリカ大陸に立ってみたいと思っていた。そういう想いは時を経ても、必ず現実になるものだ。

息子が住むことになり、それなのに私が行かないなんてあり得ない。

そう思って、初めてアフリカに向けて出発したのは二年前。

私が海外に渡航し始めたのは8年前だった。プランは自分で決めた。ツアーには参加したこともないし、するつもりもなかった。

なぜ、わざわざ海外まで行くのか…

観光ツアーやビジネスでそこに向かう人々とは多分目的が異なる。

そこに生きる動植物、昆虫、水、空気、ニンゲンたちのエネルギーや文化、これらを包括的に感じたい。

観光ツアーで風景に感動したり、ビジネスライクな接客を求めての異国の人々と交流するのではなく、生活の一部のように共に食事をしたり、おはようの挨拶をするような……

たとえそれが、一期一会のようなものであったとしても。いや、一期一会だからこそ、その機会を大切に自分の記憶のポケットに入れていきたいのかもしれない。

そんな風に出会った人たちが、幸せなことに私にはいるのだ。

連絡手段がなくても、不思議と不安がない。彼らのことを考えていると、いきなりメッセージが入ったりする。

言葉がさほど通じなくても、キマンボが空港で本気でお祈りをしてくれていることがわかった。電気もガスも水道もない生活をする彼から見れば、何時間も空を飛ぶ飛行機に乗って日本まで帰る私の身に、何もないなんて簡単には思えないのだ。

言葉がさほど通じなくても、ママが本当に私との出会いを喜んでくれていることがわかった。エスタが私を好きでいてくれることもよくわかった。

そして、隣人も彼らも、息子を心から家族のように愛してくれていることも伝わってくる。私が何も言わなくても、自分たちは彼の家族だから安心しろと帰る日に言ってくれた。

 

中学生の頃、フィジーの写真を雑誌からよく切り抜いていた。憧れた映画の舞台はフィジーのヤサワ諸島。そんなことも半ば忘れていた8年前、初めて海外に娘を連れて行くことに決めたのは、偶然フィジーだった。

二度目の滞在時、会いたいと思っていたフィジー人と偶然バスの中で会えたり、日本に移住したはずのフィジー人が、ある日後ろに立っていたりした。そして、あるフィジー人に歌ってほしい歌があった。彼はギターをもって、私をソファに座らせて、目の前でそれを歌ってくれた。

これらのことは、ホテルのサービスなんかじゃない。波長が合うのだろうか、フィジー人には祈りが通じるのがとても早いのだ。

私が帰国する前日、ライがいつも身につけていた貝殻のネックレスを私の首にかけてて、ハグしてキスした。こちらからプレゼントなんて何もしていなかったから驚いた。ネックレスからはライの匂いがした。

多分20くらい年下だけど、私は彼女が大好きだった。彼女がいるフィジーといないフィジーではその土地自体が全く違ってくる。

三度目の滞在時、ライと会う約束をした。でも彼女はそこに来なかった。約束の日、携帯電話を盗まれて連絡がとれなくなっていたのだ。やっと連絡がきたその時、もう帰国寸前だった。それは、また次に会いに来なければいけないということだと思った。彼女と会ったらきっと、私は抱きついて大泣きするだろう。

 

フィジーのサンセットも、キリマンジャロの朝焼けもとても美しい。

フィジーの土や草の匂いも、あの湿った空気も澄んだ海の水も人々の笑顔も大好きだ。

キリマンジャロの雨水の美味しさや、桜吹雪のようにいつまでも途切れないモンシロチョウが飛ぶあの景色も、たくさんの野生の鳥が降り立っている畑も、サバンナを歩くマサイもエネルギッシュな街の若者たちも大好きだ。

土地を愛するということは、都合よく何かを切り取るということではない。

植物は共に生きているし、昆虫も共に生きている。動物も微生物も人々も。

そうしてその土地全体を好きになっていく。

 

空も土も水も、誰のものでもない。

ましてやニンゲンのものではない。

 

それでも還りたいと思う場所は、やはり自分にとって故郷のようなものなのではないかと思う。

 

私の屍は、日本ではなく、このどちらかの土地に投げ捨ててほしいなんて考えている。

 

そんな煌めく星と出逢えた私はとても幸せなのだと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

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