随筆 87

ビジョンを語ることが大切だとよくいわれるが、生きる目的やその仕事をしている目的をきちんと他者に伝えられる人と

あまり出会わない。

だけど個人的には、自分の人生の目的が大切なのであって、他人が何を目的にしているかなどどうでもよいと思っている。

生きるも死ぬもその人の自由だから。

ただ、表面的な目的らしきことを語っておきながら、数カ月もしない間にその目的を忘れてしまっている人はけっこういると思う。

その都度その言葉を信じているとキリがない。そんな場面にもう何度でくわしたことだろうか。

そこで気づいたことがあった。

彼らが語る目的は、じつは本当のことじゃない。言葉が大切とか言霊とか日本人はいうけれど、行動のほうが本心を表している。

目的を忘れてしまっているんじゃなくて、本来の目的はそれじゃなかったのだ。

本当の目的ならブレることもないし、忘れることもない。

よく「裏切られた」という人がいる。気の毒な話だが、相手は初めから本当のことをその人に話していなかっただけのことだ。

目的とは、そんなに簡単に変化するものじゃない。

ビジネスセミナーで、組織力や営業力を上げるためにビジョンを語れとか目的を伝えろなどと言うことを教えるが、そんなに複雑に考えなくても、教えなければならないことはただひとつ。

嘘をつくな。

だけである。

嘘をつくから信頼されない。単純である。

わからないことはわからないと言えばいいし、愛がなければ愛していないと言えばいい。

自分に都合よく相手の言葉を捉えたり、自分に都合よく、言葉で誰かを煙に巻いたりするよりも、誰にでもわかる簡単な言葉で、きちんと自分の想いを伝えれば良い。

誰も誰かの人生は決められないし強制できない。それを強制してくる人がいるなら、その人がそんな簡単なことさえ知らないというだけのことだ。

いやならイヤと言おう。それが愛だ。誤魔化す行為は保身である。

利己的なら、利己的だと大手を振って生きればよいと思う。動物は決して他者のために生きたりしないものなのだから。

恋愛などで、相手に自分の存在を隠されている人は気づいたほうがいい。本当に愛してる人を、まるで目の上のたんこぶのように他人に隠したりはできないものだ。始めからその存在を愛していないから、表に出さないのだ。つまり、目的は別にある。

愛しているという言葉より、見るべきは行動である。

お互いにそれをきちんと認識した上で、目的を自覚しお付き合いしないと、とても厄介なことになるだろう。

誰を好きになっても自由なのに、隠す意味が全くわからない。好きな人ができたらきちんとパートナーに話せばいいし、男友達と出かけるときもきちんと話しておいてなんの問題もない。隠す人は、目的が別にあるんだろうね。

サン=テグジュペリの言葉にこんなのがある。

 

愛とは互いに見つめあうことではなく

共に同じ方向を見つめることである

 

老若男女、愛を求めている。

ならば先ず自分が正直になって愛することから始めなくてはいけない。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

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