随筆 88

愛の確認の一つの方法にこういう見方がある。

昨日の随筆に書いた「隠す」行為もその一つなのだけれど、恋愛だけでなくすべての人間関係において

愛があるかどうかを確認できることの一つが

責任感だ。

無人島に一人で流れ着いたとしよう。

さて、そこにあなたの責任感は必要だろうか?

何日までに連絡しないといけない。

法律を遵守しなくてはいけない。

浮気はしてはいけない。

売上ノルマを達成しなくてはならない。

誰かに会えば挨拶をしなくてはいけない……などなど。

全くもって関係ないはずだ。

つまり責任感とは、自分以外の第三者がいて初めて成り立つものである。

だから、他者に対して愛がなければ責任を持つことはできない。誤解してはいけないのは、本人自ら進んで責任をとるのではなく、肩書や立場によって無理矢理記者会見などを準備されて「取らざるをえない」ような責任は、愛ではない。

責任感の強さ、それは他者に対する愛の表れである。

責任感の強い人は、間違いを間違っていたと認めることもできるし、考えが変われば、それをきちんと周囲に説明することもできる。とりあえずの綺麗事や、誰かの言葉の引用などで誤魔化したり虚栄による言動をしたりしない。知らんぷりしていたら、いつか相手が忘れてくれるだろうという体のいい言い訳や誤魔化しは決してしない。自分が責められても、事実をきちんと伝える。これが責任というものだ。

逆に無責任なタイプを見てみよう。

自分の脳で決めておいて、自分の心のバランスをとるためだけに他者に責任転嫁する。もしくは、事実を受け容れられないという自分の弱さからくるストレスを、他者に当たり散らすことで解消しようとする。世間体のために子どもの自由を奪いマリオネット化する。これらは皆、愛のない人がする行為だ。

言葉や形は誰にだって作ることは出来るけれど、責任感は嘘では見せることは出来ない。

前者は失敗しても方向転換しても信頼され、後者はもちろん信頼されない。

つまり、家族間でも、地域コミュニティでも、会社内でも、政治でも、リーダーになる人は愛がある人だということになる。

エーリッヒ・フロムの「愛するということ」は、それらをとてもわかりやすく表記してある書物の一つだと思う。

失敗をきちんと受けとめ、省みて改善し、生きている間中それを繰り返していく。

それが群れる基本なのかもしれない。

世界はシンプルだ。

もしも、あなたが鳥ではなく、人間と群れたいのなら、必要なのはスキルではなく肩書でもなく愛なのだと思う。

フロムは、愛は誰にでも持てるものではないと言う。

だけど、私はリアルを視る力さえ養い続ければ、愛は持てると信じている。

苦しいことから目をそらすことや、辛い現実を誤魔化すことよりも、その根源を断つことにエネルギーを使えばそれは愛である。

人に勝つことよりも、たくさんの物を持つことよりも、大切なことはあると思う。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

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