随筆 89

スピリチュアルって、特別なものではなく、徹底的にリアルを視る力。

宗教も本来は同じようなものかもしれない。

それらを……

特別なもののように伝える人もいるし、また受け取る人もいるけど、特別なものではないというところに気づいてほしい。

物にも周波数があるということは、どなたもご存知だと思う。そういうのって当然共鳴したりして、誰がそれを扱っているかというところに影響されている。

これを視覚的に感知する人もいて、それがオーラなどとよばれるもの。人からだけでなく、部屋にあるよくない物を指し示したりもする。

だからといって、すぐに視てもらいたいって思考になるのが短絡的で……自分がその周波数と引き合ってることを自覚しないといけない。

逆に同じものを買うのでも、扱っている人によって自分に影響する周波数に差異があるのは、よくよく考えたら計測しなくてもわかるはずだ。

例えば近所に同じものを売っているお店が数件あるとしよう。値段もそう変わらない。

その時、人は好きな店員さんから買えば気分が良いはず。本気でありがとうと言ってる人からは、その想いがきちんと物にも乗っかってくる。逆に物は欲しくても店員が気分のよくない対応をしたら欲しくなくなる、あれなのだ。

同じ物を販売する組織があるとする。そうすると、お客様から御礼を言われて頭を下げられる人と、クレームばかりつく人とがいる。

何故なんだろう?

相手のことを真摯に考えて最適の製品を提供する人からのA製品と、金儲けだけを考えて作り笑顔で販売するA製品の周波数は異なる。 

精神科のデビット・ホーキンス博士が表した意識を数値化した表がある。これによると愛は500以上、更に高くなると奇跡が起き始めるらしく、マザー・テレサでは700と言われる。

これが非常にわかりやすい表で、同じものでもこれらの意識レベルの高い人を通して購入するほうが、よりその物の持っている良さをとりこみやすいのだろうと容易に想像できる。物のもつ周波数が、持っている人やその人の想いで上下しているのだろうと感じる。

利己的な思考は意識レベルが低い。しかし、意識レベルを高めることは、思考を変えることで簡単にできるということでもある。

どんな機械で計測したのかは知らないが、私達の身体もK.N.O.Pカリウム、窒素、酸素、リンなどの原子の融合物なので、そう考えれば計測する方法も生み出せそうだ。

何をするかより大事なことは誰とするかであるし、何を買うかより大事なことは誰から買うかである。

命の時間を使って、その対価として手に入れたお金を、わざわざ低い周波数の物と交換しないように、自分の五感と第六感を常に研ぎ澄ませておきたい。

野菜や果物などもじっと見ていると、栄養価の高いものはキラキラしているはず。

それでも何より、自分の命を繋ぐためにいまここに届いていることには、感謝して口にいれたいから、感謝できるような良い恵みを選択するための、知識ではなく感性を持ちたいと思う。

本能的なものを否定したら生命力が当然弱いとなる。弱いものは淘汰される。つまり絶滅する。私は知識よりそちらを失いたくない。

科学とは明日変わるかもしれない不確かなものだけど、本能は地球がくれた確かなものなので。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です