恋い焦がれた人に対して、執着してしまう人は多いようです。
私は、あまり人に執着しません。
モノにも。
でも運良く?!好きな人とはいつも相思相愛になりました。
なぜなのかと考えるとき、執着しなかったからなのかもしれないと思ったりもします。
大好きな人だからこそ自由であってほしい、強制したくないし独占したくない。
心の扉はいつも全開、入るのも自由、出ていくのも自由。
それは相手にはきちんと伝わっているようでした。
だから、相手は楽だったのかもしれません。
始まりは……(笑)
でも中には、その自由が好きじゃない人もいます。
独占し支配することを愛だと勘違いしてる人は、相手を支配したがらないという考えを、愛されていないのだと思い込み出ていきます。
では、さようなら!
それでおしまい 笑笑
逆に私を支配したがる人は、何度伝えてもわかってくれない場合、私の人生をあけ渡すわけにはいかないので、こちらからさよならします。
誰かのモノになるつもりはまったくありません。
私が誰かを好きなのは私の意思であり、私の選択であり、私の自由です。
相手もしかり。
それが一致している場合のみ、共に生きることになるのです。
時に、自分を独占してほしい人もいて理解に苦しみます。
浮気をして、相手が嫉妬するかどうか試すタイプのアレですよ。
逆に不特定多数の粘膜常在菌など持ち帰られて、せっかく健康になった私に病気のリスクを与えられることは大変な迷惑なのです。
そんなことをして試さなくてはわからないということは、私を信用してないということになります。
信じることは愛することなので、愛し合っていない証となり、それならば共にいる意味もなくなり、さようならとなります。
好きな女と生きれば良いじゃないですか。(実際にそう言い放っています)
そんな私の自由さが怖くて、おちおち眠れないって人もいました。
いつどこに行くか分からないって。
執着と共依存の関係は苦手です。
なので、コニーサンが最高だったわけです。
彼は私を愛してくれていたけど、支配しないし支配もされません。
強く自立した優しい雄でした。
愛し合う相手は、ニンゲンとは限りません。
男とも限りません。
セックスするとかしないとかどうでもよいことです。
子供の頃から好きな人とは相思相愛になってきたけれど、持続するかどうかはまた別の話(笑)
生き物は皆、自分の意思があり、自由です。
群れになって生きたほうがメリットが高いので、相互扶助で生きています。
ということを大前提としてわかっている人とじゃなきゃ、もちろん一緒になんて暮らせません。
お互いに別の誰かを好きになれば仕方がありません。
一度好きになった人は嫌いになれません。
何年会えなくても、ずっと好きなままです。
愛されるのは確かにありがたいものです。
だけどやっぱり、自分の意思で愛し続けていたいし、追いかけていたいのです。
そしていま、一番愛してるのは地球かもしれません。
自分の命も地球に委ねています。
地球が決めたことをそのまま受け容れるしかしようがないのです。
つらくても悲しくても。
出会いも別れも。
一期一会で人は生きていけます。
相手がニンゲンじゃなくても多分生きていけます。
地球が自分に組み込んだ間違いのない方向に、肩の力を抜いて緩やかに流されて行きたいのです。
必要ならそこに在って必要なければ淘汰される
地球が組み込んだ流れに、ニンゲンのお約束は太刀打ちできないでしょう。
もしも自分が淘汰される側なら、それも仕方のない事です。
今日も皆さんありがとう。
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