随筆 93

しっかりとした明確な意思があり、自己を確立するがために、真実の追求などを目的とし

物心ついた頃から、そういう目線で人々を見たり勉強したりしていると、ある時急に、まるでパラドックスのように、真逆の世界の中に足を踏み入れてしまうことがある。

例えば、自由でありながら拘束されていて、生きているようで死んでいる。

悲しみのようでそれは単なる思い込みで、自己のようで原子である。

だから今のところ

真実は虚無

リアルはファンタジー

なのだけれど、殆どの人には通じなくて、目の前の人の世界観に合わせてその範囲内で話をしなければならない作業が、そろそろ無意味に思えてならない。

多くの人が興味を持つものに、あまり面白みを見いだせない。

システムに洗脳された人々の価値観に合わせて話しているとき、牛乳パックの工作物を「見て!これ凄いでしょ?」と言うために、私の前に並んでいたあの子達を想起させる。

そのように何もかもが無意味だと思う一方で、ある存在に対してとても愛おしいと感じるのは、本当に厄介だ。

 

水は誰のものでもないし、土も誰のものでもないのに、奪い合いをしている人間は頭が狂っているのだろうか?

地球はそんなに馬鹿じゃなくて、生きていけないモノを産み出したりはしない。

余れば淘汰するのも地球のなせる技だと思う。

原子がぶつかって、融合の仕方が少し違ったら、ハムスターになったり、ゴキブリになったり、ニンゲンになったりする。

とても不思議で面白いし、どうでもいいと言えばどうでもよい。

 

そろそろ無理がたたってきて、いつものあの欲求が強く強くわいてくる。

いつになったら、この原子はバラバラになって、風になるのだろうと考えてみる。

だけど、エネルギーがどう作用しているのかとか、ニンゲンのファンタジーの創り方などがまだ不明瞭だから、最たる欲である知的好奇心を消去することができないでいる。

マシンを使用せずに、体得を目指しているから、大学の研究などには自分は向いていなかったろう。

動物の頭を切り落としたり、脳を割ったりしてまで知る必要もなく、わからないことはわからなくていいというベースのもとに探究心を持っているので、研究者からは陳腐で頓珍漢なことを言っているように思われるかもしれない。

 

まあ、壮大なファンタジーを創ってみたら、あぁやっぱりと納得して、原子に戻れるのかもしれない。

コニーサン、食べればよかった。

ミルキーも、食べればよかった。

サファイアから出た向日葵の双葉は、残った仲間が昨日食べてくれた。

 

地球は、なんのために循環させているんだろう?

これさえヒトが考え出したファンタジーかもしれなくて、何にも信じられることなんてない。

せめて、青い空と綺麗な水と緑の大地と共にそれを考えながら存在してみたいな。

パニックにさせたらごめんなさい。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

Pocket

0 comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です