分相応

〇〇になりたい……という想いを持っている人。

周囲にたくさんいらっしゃいます。

その時点でその人は〇〇になる可能性が高くないと考えることはできるでしょうか。

地位や肩書は、欲しがって得るものではありません。

欲しがって得る人を見ていると、その器ではないと感じることは誰にでもあると思います。

大抵の人々は、誰がその立場に適しているか判断できていますが、自分が適任だと過信して自ら手をあげてしまう人もいます。勿論、ボランティアなどにおいては、率先して名乗り出てもらうことが有り難くもあり、その集合体で得られるメリットは計り知れません。

しかし、本来地位や名誉や肩書は、周囲から依頼され引き受けて、得るものです。

リーダーとしての資質と、指示をされてこつこつと単調な作業を忍耐強く続けられる才能とに優劣はつけられません。

自分に与えられた資質を無視して、分不相応な立場に立てば、いずれは大きな問題の種となり、多数の人に迷惑をかけることになりかねません。

何かを決めるとき、自分の想いだけでなく、ニーズがあるかどうかは重要な指標となります。

それでも、コツコツと数十年それに向かって努力を続けていれば、自己成長を遂げて欲しかった栄光を手に入れられるかもしれませんが……

どちらにしろ、分相応な自分の役割に徹することが肝要かと思います。

苔があって、大木があって、日蔭に花が咲いて森を創ります。大木だけが偉いわけでもなく、苔に価値がないわけでもありません。

役割が異なるだけです。

これに優劣を決めて、支配できると思いこんでいる思考の人に、ニーズがあるわけがないと思うのです。

誰にも誰かを支配などできないということを理解していれば、家庭でも職場でも、個人を尊重することができます。

自分へのニーズに応え続けていれば、ひとりでに天職に就いています。

これが多分、一番正しい地球の循環なのでしょう。

誰かに勝ちたい人は既に負けています。

何かを欲しがる人は掴めません。

弱肉強食で生き残る物は、ひとりでに残りますし、何者かになる人はひとりでにそうなります。

ルールのある試験や競技と、地球の循環とは、少し違うように感じています。

自然淘汰に任せてみれば、地球が答えを出してくれる

私は、そう考えて埃のように命を終えたいと思います。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

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