例えば特定の誰かがいなくても、親に愛されていなくても、配偶者に愛されていなくても……
自分が心を閉ざさなければ、必要な人と出会うことはできる。
独占したり支配することが、愛するということではないから、刹那的な他者からの愛に、きちんとアンテナをはっていれば、いくらでも私達は愛されていることに気づくだろう。
フィジーで出会ったサーファーたちと、宿泊先で共に食事をしたり、夕陽をみたり、カバを飲んだりしていた。数日もすれば皆、それぞれの場所に帰っていく。
別れのときに交わす言葉は
「また、会おう」
永遠にさようならではなく、住んでいる処も、どんな人生を送っているのかも、お互いにさほど知らないのに、また会おう……
多分二度と会うことはないだろう。
それでも、こうして次々と出会っては別れていく。その瞬間瞬間を大切にしていれば、二度と会わないかもしれない人とも心を通わせることはできる。
そして、その繋ぎ合わせで人は生きていける。
昨日まで知らなかった誰かと海辺の夕陽を眺めながら、一期一会の意味を考えていた。何処に行こうと、誰とサヨナラしようと、哀しいかな私達生物は、生きられるように出来ている。
親がいなくても、帰りたい場所がある人。
恋人がいなくても、大勢の人から愛されている人。
ニンゲンがいなくても、鳥や動物と生きていく人。
幸せそうに笑っていても、誰しも悲しみや辛さを胸に秘めて笑って生きている。
小さな子供だって、動物だって、悲しみを呑み込んで生きている。
窓辺の風に吹かれて、秋の深まりを感じていると、たくさんの人から愛をもらっていることにふと気づいたりする。
誰かがいるから幸せで、何かを持つから幸せなのではなくて、自分で自分を幸せにできるか。
大切なことは、そこなんだろうね。
今日も皆さんありがとう
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