随筆 81

昨年まで、家に引きこもっていることが多かったのだけど、今年はニーズがあるので応えている。

ひとたび、応えようと決めると数えきれないほどの新しい出逢いが訪れる。

来るもの拒まなければ彼氏も彼女もいくらでも出来るのだろうけど(笑)

旦那とは離婚してからとてもいい関係になったので、ホント良かったって周囲の女性には話している。

既に半年過ぎたから、結婚したければお互いに誰とでもできる。今日新しい相手が現れたらいつでも出ていけば済むという状態の中で、自分の意思で旦那は私の息子や娘と住んでいるし、私も旦那と一緒に生きている。

この国の人が定義する、恋愛とかビジネスはなんだか面白くない。

何も「持たない」ってのは、とても心地よいのにね。

欲しいもの?

そんなもの何もない。

ニーズに応えて、淡々とやることやっているけど、それが私の役割だと考えているからそうしているだけ。流れに逆らわないってそういうことだ。

私は、地球の一細胞みたいなものなので、そのうち消えてなくなる。

動物たちを見習って、植物たちを見習って、細菌類を見習って、ニンゲンみたいに支配やら独占やら虚栄やらの陳腐な行動はしないよう、地球の細胞らしく生きたい。

何にも執着せず、何も独占せず、殺した生命への懺悔と感謝は、循環の中で地球の中に融け込んでいくこと。だから墓に入るとか不自然で、小学生の頃からお断りしてある。

先日もこんなニュースがあった。

私達の身体にマイクロプラスチックがたくさん流れているのは、ニンゲンたちのやったことなので仕方ないけど、海洋生物や、動物たちに、それで悪影響を及ぼすかもしれないことは本当に申し訳ない。

※参照 人体にマイクロプラスチック

これも一つの循環なんだけれど、どうせ循環起こすなら、もっと良い循環を地球に起こそう。

単なる流れ。水みたいなもの。だから形はあまり関係ない。

私は名前が何度も変わったけど、名前なんてなんでもよい。

姓名判断、マサイにも通用するのかな?

占いって先住民にも通用するのかな?

宇宙を起源としてるなら興味深いかな。

一部の人にしか通用しないとしたら、それは本質じゃない。

名前がなくても誕生日がわからなくても、大切なことはきちんと命を循環させていくこと。

一部の人が創造したシステムを、私は生涯「正しい」とは言えない。

ガイア理論なんて唱えられなくても、生きていれば本能で生命はみなそういうものだと感じるはずだ。

感情がないと決めつけることによって、動物の頭を切り落としたり、わざわざガンにしたり、虐待したりして、ニンゲンを正当化するためにそう言いたい気持ちはわかるのだけど、もっと根本的な、本当に動物が感情もなくヒトから遠い生き物だとするなら、そもそもその動物実験、無駄じゃない?

つまり、ヒトと近いとわかっているからやってるんだろうなと思うわけで……

ニンゲンだけが生きているわけじゃない。ニンゲンだけで命は繋げない。

旦那がため息つきながら言う。

私の頭の中は、殆どがパブリックなんだと。

いったい誰を愛していて、何が私個人の願望なのかもさっぱりわからないって。

水のように流れていれば、何となく自分の行き着く場所の方向がわかってくるし、何も必要ないとわかってくるし、孤独なんて生涯縁がないとわかるし、死ぬことも当然怖くないし……

たくさんの人と出逢った今年は、それが自然の流れだったのだと捉えている。

だけど、原子に戻って風になれば、空から美しい地球を眺めることができるんじゃないかな、なんて考えていたりもする。

 

何も持たずしてすべてを持っている

ーMAHIRO思考

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

※写真 https://images.nasa.gov

 

 

 

 

 

 

 

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