不思議な体験2

不思議な事ってのは生まれてから今までしょっちゅう起こることで、わざわざ人に言うまでもないのですが、最近は面白い?ことが多いというか、楽観的にとらえてます。

例えば今日はまた、未明にシャイニーたちが鳴き始め、しばらくして同居人が時計を見たら、ある数字のゾロ目でした。

先月の同じ日にも、なぜか早朝に起きたら今日と同じゾロ目で勝手にスクショされているという不思議。誰も起きてないし、触ってもいないのにスクリーンショット!!(笑)

それ以前もやたら、目覚めて時計を見るとこの数字のゾロ目ばかり。

娘は異なる数ですが、2年前まで、夜中に目覚めたら毎日同じ数字のゾロ目時間ばかりで気持ち悪いと言ってました。

 

母が亡くなって、月命日におかしなことが起こることがよくあります。

実家に行くと、ひとりでに仏壇の鈴が鳴ったり、その横で突如としてモノが消えたり。

誰も触っていないし、動かしてもいないのに、身に付けていたものが消えたのは、私と娘両方にあります。

本当に突然身に付けていたものがなくなるのです。家の中なのにどんなに探しても見つからない。

なんていうか、そこにネガティブな感じは受けないので怖くもなんともないのですが、伝えたいことがあるんだなってことだけはわかります。

でもそうなると、真実の追求をしている私の人生で最終的な答え合わせとして残してある『死んだ後どうなるか』ってのが、どうも無ではないような感じで……

 

先日、リンジーたちを毎日見に来ていた近所のおばあちゃんが亡くなったんです。それまであまり話したこともなかったのですが、毎日毎日嬉しそうに彼らを見に来てくれて、その人のおかげでどれほど気が楽になったことやら。

その方が亡くなった後、近所の人たちが口々に「誰にでも優しいいい人だった」というのです。当番でも何でもなくても毎朝皆が通る道の掃除をされていました。

よく介護関係の方が言う『逝き方』ですが、ご家族がいうには、苦しまずに静かに息を引き取ったと、それも自宅でご家族の傍で。だから笑って送ってやってくださいって。

ああ、やっぱりなって。

 

善い人って自分にとっての都合のよい人もそう言ったりしますが、そうではなくて素直に動物や子供もかわいがる素直で正直な人だったようです。

いくらニコニコしていても、自分に嘘をついて生きている人は最たる不幸で、こういう世界では無意味になってしまいます。

人格者というのは、実際は身近にひっそりといたりするものなんですよね。

僅かな期間でしたが、善い方と出会えたことに感謝です。

 

私には霊などは視えません。

でも母が亡くなった数日後に、母のスマホに私から着信が入ったり(もちろん母のスマホを持っていたのは私で私から発信するはずもなく)夢で母がはっきりと「その男まだ信じるな」と言ったり。「誰の事?」って感じでしたが、数か月後、ああこれだったのかってわかりました。

面白いですね。

 

でも私個人的には、逝ったあとは人間とは一切関わりたくないので、生きている間に出来ることはすべてやり切って終了します。

もしも自分のファンタジー通りにその世界があるなら、ゲームクリアした次の世界はコニーサン達やシェリーと草原を走り回って大の字になって空を仰ぐ世界です。

家族にはコニーサン達を祀っている場所で鼠のような影が何度も視えるのに、私には一度も視えません。まだ彼らには夢以外で逢えないのです。

でも、一度だけシェリーの声が聞こえたことがあります。

ロッピーとリンジーとボサノバ、シャイニー、ピティしかおらず、彼らの鳴き声は種が異なるためシェリーとは似ても似つかない。

「えっ?!今のシェリーだ」

……そういう時ってすごくつらいです。とても逢いたいです。だからやっぱり頑張らなくては。

善い世界は自分の魂が創るものなんですね。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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