随筆 165

流れのない水が澱むように、思考が進化または変化しないものも同じで成長なきものは腐ってゆく。

変化は進化にもなり得る。

ゴキブリは殺虫剤に耐性を持つ進化をしたと言われるが、抗生物質が効かない菌類も同様だろう。そうやって変化し続けることが生き残る方法のひとつでもある。

変化と言ってもよいことばかりではなく、老化や病気などの変化も起こる。ただこれらも年齢で一括りにはできず、動き続ける人は老化の速度が遅かったり、環境適応力が高い人が身体的に強かったりするので、誰から見ても死にそうにない人などは多分そういうことで、事故や事件にでも巻き込まれない限り、放っておけば老衰で亡くなる可能性が高い。

残念ながら大人になり切れず死に逝く人もいて、若いから大丈夫だという短絡的発想は危険だ。

変化が良くない方向に行っているのであれば、それを覆すエネルギー値を逆方向に使わなくてはならない。第三者から見れば崖に向かって歩いている人が、生き延びるというお話を無理矢理作って恐怖を誤魔化しても、多分無理矢理だと本人も自覚しているので結果は変わらない。

動物の本能ってそんなに馬鹿じゃないと思う。必死に自分を言い聞かせる必要はいつだってない。自然に湧いてくる感覚が一番正しい。無理矢理お話を創らなくてはならないとしたら、自分はそのお話に則っていないと潜在的にわかっているからだろう。

自分が生きているのか死にかかっているのかは、この辺りで判断すれば良い。

 

たとえばやるやる詐欺の類において、彼らは変化するためではなく、現状に留まるために振出しに戻ったりする。

「それ、やると言ったときにわかってたはずだよね」

変化をして別の道を見出したならまだしも、彼らは何年前にでも瞬時に戻る。つまり何も進まず変化もせず、周囲に虚構ばかり話して留まっていたということになる。

 

何をするかより誰とするか

信用できるのは通帳の印字の桁ではなく、生きていけるかどうかだ。死んだら元も子もない。基準は変化、進化、成長しているかどうかで、言葉ではなく行動で確認できる。ただそうはいっても生物は死ぬ。生きるというのはリミットがある話で、だからこそ誰と生きるかで自分の人生が面白くなったり我慢の連続で終わったりもする。

例年通りという言葉を連呼し、今年も来年も何も変わらないと思い込み、思考が停止している組織は、ふたを開けてみれば人間関係がガタガタの形ばかりの組織になっている可能性が高い。水で言えば、澱んでいるし腐るかもしれない状態。リーダーがどんどん変化するチャレンジ型ならまだしも、支配欲と依存心にまみれた動かない組織なら、長を全く異なるタイプの人にしてみるのも面白いと思う。まあ冒険できないから澱み続けているのだろうけど。

昨今、生物は必ず死ぬということを忘れ去り、まるで不死身かように自分に言い聞かせている人々と出会うことが多くなったが、それらの動向を見ていて憂う。

真実は虚無 リアルはファンタジー

自分の世界は自分が創っている。現状維持を望む気持ちもわからなくはないが、きっとすべてにおいてそれは無駄だ。生きているものは変化すると理解し、明日何もかも失っても生きる心の準備はしておいた方がいいのかもしれない。どんな人も。

でも希望的観測もある。日本人は何もしなくても知らず知らずに進化しているのかもしれない。何処よりも多い添加物や農薬、薬漬け大国ゆえ。ゴキブリのように耐性を身につけている可能性も否めない。かくいう私も自分で栽培する野菜以外は無農薬などに拘らずに食べてきた。添加物は好きじゃないけど単に美味しくないから食べなかっただけだ。味覚も地球が与えてくれた本能という贈り物。生命は不思議で神秘的だ。

退化しかかったシックスセンスにフォーカスすれば誰だって気づくこともある。地球は生きていけるものすべてを与えてくれているはず。本当の価値や恵みを全員が思い出したらどうなるのだろう。きっととても忙しくなるね。

 

地球の自然治癒力が高まりますように。

出したエネルギーはきちんと本人に還りますように。

万物に感謝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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