貴方にとっての本当は、あなたが見たものであったり、聞いたことであったり、感じたことであったりするでしょう。
誰かにとっての本当は、その誰かが見たものや聞いたこと、感じたことの積み重ねでしょう。
小学校に入った時、先生が
「お道具箱からおはじきを出してください」
と言いませんでしか?
「では赤いおはじきを並べてみましょう・・・・」
自分は「赤」のおはじきを取り出します。隣の子を見ても後ろの子を見ても皆、赤いおはじきを出しています。
ホッとしますね。
さて、あなたの赤と隣の子の眼球に映る赤は本当に同じでしょうか?
後ろの席の子の眼球に映る色と自分の眼球に映る色は本当に同じでしょうか。
視力もアフリカの人と眼鏡をかけた先進国民ではまったく異なりますね。家族でも見える人と見えない人が居たりします。
あの頃、勝手に皆の感覚や世界と自分のそれとが同じだと思い込んでしまった人は多数いると思います。
でもきっと永遠に同じだと証明することはできません。
味覚もそうで、一人は美味しいと感じ一人はまずいと感じたりすることがあります。
世界もそうなのです。
自分だけが視ている世界で自分だけが思い込んでいる世界です。
誰かが間違いでもなければ正しくもありません。
皆正解なのです。
だから他人に自分の五感で創造した世界を押し付けるのはよした方がよさそうです。
どんなに愛している人でも世界観は異なります。
自分と全く同じ世界を視る人はこの世にはいません。
同じだと思い込んだ幼児期の記憶を今一度、冷静に考え直し個々の世界を強制したり支配する傲慢さを棄てましょう。
そんな偉い生き物はどこにもいないと思うのです。
同じエネルギーを使うなら幸福で気分の良い世界を創りたいものですね。
悲しみは一つでも減り、傷みは最小限に抑え、涙を流すことはあっても愛を忘れず
生きている限りは前を向き立ち上がり、命を謳歌して最期を迎えたいものです。
今日の出会いにありがとう。
過去すべてにありがとう。
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