どんなに憧れても羨んでも、人は誰かにはなれない。
だから、目標は自分で決めた自分像でよいと思う。
本来の仕事や、役職、立場などは、ニーズがあって、それに応えることで成り立ち、やりたいからと言ってやることではない。
ニンゲンは基本的には群れになって生きているが、その中でも自分で決められることと、他者にしか決められないことがある。
肩書や立場などはそうで、自分の願望よりも多数の人のニーズに応えることが最善だと思われる。選挙などもそうかもしれない。社長後継者などもそうかもしれない。国王などもそうかもしれない。
また、聡明であるとか、謙虚だとか、痩せているとか、肥っているとか、背が高いとか低いとか、美しいとか、品があるとか、弱い、強いなども、自分では決められない。他者にそう言われ続けて、あーそうなんだと自覚するものである。
自分で決められることは、自分の生き方くらいであろうか。
縁などないと思っていた人と出逢って信頼関係が築けたり、思いもよらない立場に抜擢されると一瞬躊躇うが、方向性が自分と大きく異なることがなければ、なるべくニーズに応えていきたいと考えている。
来るもの拒まず去るもの追わず
そうやって自然の流れに身を委ねていると、「〇〇しなければならない」と強迫観念にかられたり、他者の生き方に一喜一憂したりはせずに済む。
それぞれの差異はあるかもしれないが、役割がそれぞれ異なるだけなのだ。誰かになりたがっても、自分は最期まで自分以外にはなれない。
世界は全部で一つ。一部は全部。
優劣を決めつけて必死に「優れた」ふりをしなくても、ホモ・サピエンスはホモ・サピエンスなのだから、さほど大差はないのかもしれない。個々の役割に徹することが望ましい。
小さなことで争ってしまったら、知能が残念がる。
あなたは最期まであなたでしかないし、私は最期まで私でしかない。つまりそれは、役割の違いなのだろう。
肩の力を抜いて、自分らしく素直に生きている人はとても魅力的だ。
生きるってそれで十分なのではないかと思う。そんな人々が助け合える世の中がいい。
自分が得意なことは自分が任され、誰かが得意なことは誰かにまかせればいい。そこに抵抗すると、結局本人が疲弊していく。
夏の昼下がり、まずは自分の役割がなんなのか、きちんと考えてみようと思った……
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