多数の人が罠にはまる。
子どもは産まれてすぐ親をみる。または自分を育てる人を模倣する。
これだけ成熟した文化的な社会では、もはや原人のように周囲を見てリスク回避をしなくても、一歩進んで自ら考える余裕があるはずだ。
石器で何かを割り、火を使うことも注意して、獲物を追いかけていたような、生きることに必死で、いつ何にやられるかわからなかったような生活ではなく、家に入れば鍵をかけて、誰かの攻撃や食物の略奪の心配もなく眠ることができる。
だからこそ、日本人は夜中まで勉強に時間を割いたり、生きることに必要のない物を産み出して仕事にしたり、過ぎた幸福の追求や食欲や、物欲や性欲にどっぷりと浸ることができるのだろう。
本来生きるとは、命をつないで子孫を遺すことで、食って寝て出して交尾してを繰り返し、子を守って次に繋ぐだけで事足りるはずである。
現代のように支配層が創ったお話を信じる人々が、少しばかりの文句を言いながらも個々の幸せを追求し、その幸せの形まで議論している様は心から幸せなことだ。
義務教育制度のおかげで、子供のうちにそのような事もしっかり考えることができると思う。
だけど人々は追いかけている。欲しくて掴みたくて、いつもそのことを考えている。
就活しなくては。
学歴を得なくては。
資格を取らなければ。
お金を持たなくては。
他人に勝たなくては。
男に愛されなければ。
女にもてなければ。
若くいなければ。
〇〇を失わないよう独占しなくては。
それでは恐怖に苛まれる生涯になるだろう。せっかく考えることに時間を使える国に生まれたのに、考えずに模倣するだけでは、いつも他人の動向をみて、挙動不審な人生を送るしかなくなってしまう。
シナリオを創った人はとても才能があったのだなと、その誰かに思いを馳せると同時に、作家の端くれの私はその仕事ぶりをとても尊敬している。一度シナリオを全部読んでみたいものだ。これだけ大勢の人を信じ込ませることができたら、絶対に楽しい。
ネズミが家の中で何かをかじっていると住人は
「ネズミがいるから、退治しなくては!」
となる。おなじ齧歯類のハムスターがケージから飛び出して部屋の柱をかじったら
「もう、仕方ないんだから」
と笑って済まされる。
人間たちのイメージや思い込みによって、同じ地球上の生物なのに、虐待し殺戮される不幸な生き物たちと、人間にとって可愛いと思われる外見をしていたがために助かった生き物たち。
都合の良いおかしな働きをするニンゲンの脳の電気信号やネットワークは興味深い。
「決まっている」ことだから仕方ないと言う人がいるときに(えーと、雀はどうだろう?鳩はどうだろう?魚はどうだろう?)なんて考えてしまって返事に困る。
シナリオライターが書いた、いろんな「決まり」があるけれど、個人的にはこの国の「決まり」はあまり好きじゃない。
自分とは異なるライターが書いたファンタジーを信じ込んで「この方法しかないんだ!」なんて思えるわけがない……(笑)
鉄製のトゲのついた罠を、躊躇なく罪なき動物の脚に食い込ませて、金の道具にするのがホモ・サピエンスだ。
彼らは頭が良くて、同じホモ・サピエンスには仲間のふりをして透明の罠をたくさん仕掛けてある。
罠にかかって信じ込んだ奴隷が増え、シナリオライターは支配欲を満たすことができる。
生存競争において、勝つことは確かに大切だろう。しかし、時代によって価値のあるものは変化する。
そろそろ、その「勝ち」の「価値」が異なるものに変化しているように視えるのは私だけなんだろうか……
本当の罠は、どこにあるのだろう。
今日も皆さんありがとう。
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