随筆 61

潜在意識などという言葉が流行りだしてどのくらい経つんだろう……

人を見抜く心理学がなぜ面白いのだろう?

わからないほうが多分楽だと思うけれど(笑)

ニンゲンは自分を正当化するために、無理矢理都合のよいロジックを組み立てるものだ。かくいう自分もそう。だから、なるたけ脳を叩き潰すような感覚で、その仕組みにやられないように自分と戦うのだけれど、時々やられていることに気づいたりする(笑)

わかりやすい責任転嫁や見えすいた嘘などの他に、普段の他愛のない会話の中でも頻繁に見てとれる思考の動き。

よく、自分でも自分がわからないというけれど、俯瞰的に見たとき、このようないくつかの共通する動きを理解していれば、自分の潜在意識が何なのかを自ら読みとくこともできる。

セミナーなどで「心理学を学ばれた」と勘違いして紹介されることがあるのだけれど、心理学など一切勉強していない。幼少期から、人をよく見て話を傾聴してきただけ。

そういうものを体系的にまとめたものが心理学と呼ばれ、研究され細部に至るまでクリエイターが四苦八苦して表現したものなのだろうという認識をしている。

自分が誰かと議論をしていて、同時に自分の潜在意識にアクセスしているようなことが頻繁にあるし、相手の意見を耳で聴きながら、その人の潜在意識を同時に見ているというパラレルワールドが私のスタンダードな会話の世界。

例えば、何度も声高に叫ばなければならない人の心理。

人のため

人のため

人のため

何度も言う人は言わなければわかってもらえない、つまり自分のためという意識が強い。子どものためと常に連呼する人も同様だ。

母親だから 

母親だから

母親だから

そんなこといちいち他人に言わなくても子どもたちがわかってる。母親を愛しているはずだ。強調する人はわざわざ言わないといけない理由があるのだろう。

例えば、家族の誰かのスペックを強調したり、親戚、果ては近所の人が、などと学歴や肩書や銀行通帳の印字の桁などを自慢する人々がわりといる。

それは、自分に誇れるものがないと思っているからだろう。事実を話すことと、わざわざ強調することは異なるので、そこは一線を画す必要があるが、自分が努力せずに周りの何かを自分の価値に置き換えたところで、なんだかなあ……と思ってしまう。

例えば、自分の考えを伝えるとき。

潔い人は、真意がこうだからこうすると善悪の境なく明確に伝える。相手がどうとろうがそれが本当だから仕方ない。

自分の真意が人に言えないようなものの場合、とても綺麗な、謙虚にも見えるロジックで、真意を包み隠して善人として自分を仕立て上げたストーリーを話す人がいる。

ある集団において、いつもニコニコして綺麗事ばかり言う人の方が怪しいと昔から言われるのはそういうことだ。

例えば、天の邪鬼。

基本的に精神力が弱い。弱いなら弱いで助けてほしいと素直に言えばいいことなのに、強がって無理をして、果ては相手がわかってくれないと言うからたちが悪い。

時々、自分は天の邪鬼だから!なんて自慢する人がいるけれど、可愛いと思ってもらえるのは子供のときくらいなものだろう。

恋愛においても、交際相手や配偶者に対しての「好き」を何度も本人や他者にアピールしなくてはならないときは要注意。

本当に愛し合っている夫婦やパートナーなら互いに何も欲しがらないし、お互いにモテても不安にもならないし、同じ方向をむいている。周囲からどんなに勘違いされても二人は笑い飛ばしている。

本当はそう思っていないから声を大にして言わなくてはならなくなる。旦那が大事とか、子供が大事とか、妻が大事とかも他者に口にする人ほど怪しい。

好き、と愛しているは全く違う。愛しているふりは相手だけではなく、周囲にも実は見えていたりする。

そういう人は裸の王様である。自分がそうならないように、無駄なことにエネルギーを使いたくない。

それぞれがたくさんの命を殺戮して今の命を繋いでいる。生きるために循環している、単にそれだけで素晴らしい。

本当に自己否定していたら、食べて命を繋いだりしない。誰もが無条件に自分を認めているのが動物だと思う。だから、それぞれが正直に生きれば、潜在意識なんて言葉に惑わされたりしないのではないか。

正直に言うと嫌われるかもしれないと考える人がいるけれど、ではどのくらいの人に愛されているのだろう?

それは本当のことを伝えれば揺らぐものなのだろうか。それならばそれは愛ではないだろう。

この世界の善悪や優劣や正誤を決めるニンゲンがいると、ビックリして声も出ない。

みんな命があり、価値があるのに。

日本人は言霊を大切にするというが、そんな想いのある言葉を話す人はどのくらい日本にいるのだろう?

潜在意識は常に表れている。

それに善悪を決めつける、偉そうな自分にならないことが、世の中から不幸をなくす第一歩になるのかもしれないと思う今日この頃。

正直に生きて、それぞれの価値を認めあい、疑うことなく、助け合うことができれば、世界はきっと天国のようだったに違いない。

今日は日曜日で台風に備えている。静寂とともに、自分を俯瞰的に見つめてみることにしてみよう。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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