リンはココとコニーサンの13匹の仔の中で最後に残った唯一の存在でした。
もうすぐ2歳7ヶ月。
今日、明け方に旅立ちました。
コニーサンが逝ったあとも、リンは一年以上私の傍らにいてくれました。
ココが逝った時、彼女にこう約束しました。
(後から産まれたベイビーズ5匹
この中にリンがいます)
ココが命をかけて産んでくれた子ども達を大切にするからね…と。
私は果たして彼女の子どもたちを幸せにできたのでしょうか……。
(赤ちゃんの頃のミルキーとリン)
いくら愛を尽くしても満足だということはありませんでした。それぞれ異なる性格に添うことができたかと言えば自信はありません。
リンは13匹の中でも、赤ちゃんの頃から何かが違っていて、娘とは「最後に残るのはリンだろう」と話していました。
当初は栄養が足りなくて何かが変なのだと思っていましたが、そのうちリンは自立度が高いのだと気づきました。
他の子たちのように甘えない、つまり依存しません。朝晩順番に散歩をさせるときも、外に出たくてイライラすると、ひたすら回し車で走って心を落ち着かせているようでした。
ストレスの発散方法も上手かったのだと思います。
食べ物も、リンだけヨーグルトを食べず、かわりに向日葵をたくさん食べました。他の子たちは、二歳が近づくにつれ硬いものを食べなくなっていったのに、リンは最後の日まで硬い殻も剥いてかわらず食べていました。
亡くなる日の夜中にも何度も餌場と寝床を往復していて、未明に見つけた時は餌場にもたれかかって昏睡状態になっていました。まだ生きたかったのだと思います。
(最後の夜に食べてあったシード類の殻)
二歳を迎えられたのは、コニーサン、グレイ、モチ、リンだけでしたが、その頃リンだけに腫瘍が出来はじめました。
それでも痛そうな様子はなく、つい先日まで三階まで上り降りできていました。
1つ目の腫瘍は、ある日自分で噛んで中身を吸い出しなくなりました。寝床も一切汚れていませんでした。しかし次々と腫瘍はでき、最後に自分で処置をしたものは潰瘍になっていて、とても痛そうでした。痛くて急に走り回り、その都度何かを食べて気を落ち着かせているようでした。
(亡くなる2日前のリン)
高齢ゆえ麻酔などで亡くなる可能性も高く、病院へは連れていきませんでした。
グレイも子宮蓄膿症を1歳5ヶ月で発症しましたが、自然治癒で2歳2ヶ月近くまで生きたので、リンについても彼の自然治癒力に任せました。
最近は身体を撫でてあげると気持ち良さそうにじっとしていたので、掌に乗せてよく撫でてあげました。手をとめると、顔をふって、「もう少し」と催促します。
言葉は話さなくてもきちんと意思表示はします。嫌なときは甘噛みをしたり、顔を背けたりするので、なるべく彼らの意思を尊重して一緒に生きてきました。
リンは親であるココとコニーサンも含め、全員の中で最高齢でした。
腫瘍が出来ていても、昨日まで部屋を走っていました。脚が片方思うように動かないのは腫瘍でバランスが取れないからではないかと感じました。何度も滑って転倒しながらも、何も諦めていませんでした。
モチのようにグレイが先に逝ったからといって、気を落として急に弱ることもなく、生きることにただ一生懸命でした。
自立していて、痛みにも耐え自分で潰瘍部から血液を吸い出すようなこともする強い子でしたが、トイレなど、何かに失敗すると落ち込んでいました。
最後の数週間は自分からバリアフリーにしてある水槽に移動し、三階建には帰らなくなったので本人の意思どおり引っ越しさせました。
また、自立度が高いからといっても、時に寝床から覗いて私を呼ぶこともあり、独りでいたい訳ではないのだと感じました。
人間も同じで、独りで生きられる強さを持っているからと言って、誰かが傍らにいるのが迷惑かといえば決してそうではなく、やはり愛し愛されたいのだろうと思います。
生まれながらに他の子と少し違う考えを持つ人を、人は排除し、恐れますが、実は学ぶべきことはそこにあるのかもしれません。
昨日、偶然遺伝子についての番組を見たのですが、国民の半数の遺伝子を調べた他国の研究者のいうことには、母親と父親の遺伝子をもらって子どもができるとき、遺伝子の70個は突然変異するそうなんです。
つまり、父母が持っていない別の才能が子どもそれぞれに備わっているということですね、良くも悪くも。
ハムスターが人間たちにペットとして交配され続けた影響で腫瘍も表れたかもしれませんが、もしもリンの子孫がいたなら、野生に帰っていけるような強い生命力のハムスターが生まれたかもしれません。それをさせてあげられなかったことが悔やまれます。
なぜ彼が一番最後まで残ると直感でわかっていたのか、腫瘍は本当にとるべきなのか、果たして治療は必要なのか、真の生命力とは何なのか。なぜ私のようなニンゲンを信用したりするのか。
人間にも当てはまることはたくさんありました。
人間は些細なことに拘り、どうでもよいことを捨てきれません。
私は、リンや彼らハムスターと生きた3年間で、多くの叡智を与えてもらいました。
ニンゲンでなくても愛は通じるということ。
生きている以上、生きることを最後まで諦めてはいけないということ。
そして、悲しみは愛している証だということ。
本当に素晴らしい出逢いだったと思います。
でもリンへのサヨナラの言葉はやはり、
ありがとうと、
二度とニンゲンなんかに見つかるな
でした。
本当に長い間一緒に生きてくれてありがとう。
たくさんの幸せをありがとう。
さよなら、リン。
そしてココ、コニーサン。
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