無知より怖いものはない、と幼少の頃は考えていた。だから子どもが怖かった。
思春期になり、何度考えても人間ごときに生命の神秘などわかるわけがないとしか思えず、決めた人生のテーマが真実の追求となった。
生涯飽きることなく続けられることと考えたとき、取りも直さず自分も人間なのでどんなに努力したところで真実をわかり得ないと自覚したから。
これが根底にあると安易に誰かの言葉を信じることはできない。逆に、誰かに自分の意見を押しつけることもできない。
科学とは明日変わるかもしれない不確かなもの
なので、参考にはするけれど絶対とは考えていない。
もちろん決めたテーマはブレることなく現在も継続中ではあるが、無知については少しイメージが変わった。
無知を怖いものだと思っていたあの頃とはちがって、知らない人は知る必要のない人生だったのだと捉えている。
知る必要のない人生を歩む人に、お節介にも他者が知ることを強要し、さらには知らないことを嘲笑することには僅かばかりの疑問を持たざるを得ない。
知的好奇心という欲でさえ、過ぎればチンパンジーの頭をむくことになったり、数え切れぬラットにおかしな物を投与したり、兵器なども生んでしまう事にもなりかねない。
知識が産んだ恩恵にばかり目がいく私達だが、
わからないことはわからなくていい
という潔さをニンゲンが持てなかったために心を傷めた人々の数も計り知れないと推測する。
多分、一番怖いのは、知識のことではなく『足るを知らない人』なのであろう。
殺戮されたすべての生物に思いを馳せながら、自分のメンテナンスは自分でできるよう傍らにいるリンを見習う。
必要ないものは食べないし、腫瘍は自分で噛んで孔をあけて吸い取る。
体は自分で綺麗にするし、寝床は清潔に保つ。
教えなくても必要なことは知っている。
独りでも生きていけるが、他の誰かとの共生もできる。
やるべきことを淡々と続けている。
誰かと自分を比べない。
与えられた環境に順応する。
ニンゲンでいえば90歳くらいらしい。
彼は、私よりずっと賢いのだ……。
本当に無知なのは私たちニンゲンだったのかもしれない。
今日も皆さんありがとう。
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