5月になると思い出すことがある。
春霞より五月晴れの方が好きだし、あの崖から見る海も5月の碧が最も美しい。
滝のそばの新緑の木漏れ陽も、5月が特に素晴らしい。
バラが咲くのも5月。
シェリーの誕生日も5月。
コニーサンがこの世に生まれおちたのも、逝ってしまったのも5月。
彼と出会ったのも5月。
そして、母が逝ったのも5月。
5月には歓びと哀しみがたくさん入り混じっている。
あの日、私はレダを買ってベランダに植え替えたところだった。
ワイルドストロベリーの実がたくさんなっていて
「これ、ワイルドストロベリーなのよ」
と言ったら、躊躇なくパクッと食べた彼。
近くまで来ているが、もう何年も会っていない。
そのレダは13年を経て、ココからコロンまでたくさんの命の生まれかわりとなった。
昨日、初収穫したエンドウで豆ごはんを炊いた。
米派でない私はなるたけ米を美味しく食べようと、土鍋で炊く。
炊きたての豆ごはん。
母の好物だった。
別れの日、同じように豆ご飯のお弁当を作って母に持って行った。
母の最期の食事は私の弁当だった。
母の日には、私のバラたちでブーケを作った。
亡くなった後に整理していると、私のバラで作ったポプリが箪笥の各引き出しに大切に包まれて入っていた。
此処にきてバラは咲かなくなった。
四六時中浴びせられるLEDの街灯。
充分な日光が当たらない庭。
バラたちは次々に死んでしまって、レダも息絶え絶え。
彼女たちのためにも地植えにする陽当たりの良い土地が必要。
エンジェルやアンディ達も1歳になった。全員健康で美しく生きている。
私の言葉も通じるようになり、大きな声で私を呼んだりもする。
私は五月病とは縁がない。
5月の風も空も大好きだから。
今も天気の良い朝はクーペであの崖に行きたくなる。
私にとっての5月は海、海、海なのだ。
なのに、脚は山、山、山に向かっている。
さて、どうしたものか。
天命に任せ、流されてみよう。
必要ならそこに在って必要なければ淘汰される。
本当に生きたい場所。
やりたい仕事。
逢いたい人。
なら、現状とはかけ離れている。
それでも流れに逆らわずに行くことが、遠回りに視える最短の道なのかもしれない。
今日も皆さんありがとう。
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