随筆 71

心が満たされていると、何も欲しくなくなる。

今日は自信と謙虚について考えてみた。 

自分の心の孔が埋まらないとき、人はあらゆるものを欲しがるものだ。

ブランド物のバッグを持ちたがり、高級車に乗るのはなんのためか。

女の数を自慢するのはなんのためか。

人をコントロールしたがったり、虚栄で生きるのはなんのためか。

本当に誰かが、他人の人生を気にしたりしているのだろうか。

見なければならないのは徹底的なリアル。

綺麗事を放ち、善人仮面を被って、世間体を気にしたりする人を見ると、凄い自信家だなといつも感じる。誰かが僕を見ている、私を見ていると思い込んでいるからそういうのを気にするのだろう。

誰もきっと他人の人生なんて気にしていない。

刹那的な誤魔化しを何十年も続けるならば、本質的な解決にエネルギーを注ぐほうが建設的だ。

そうすれば、残りの人生が大きく変わるかもしれない。

誰かが何かをしてくれるなどという幻想もまた、ものすごく自信家すぎやしないかと思う。自分がもしも他人を助けたり、分け与えて生きてこなかったとしたなら、誰もその人に何かをしようなんて考えられないはずだ。

誰も他人の人生なんて気にしてやしない。

何かあっても、暇つぶしに井戸端会議の話題にのぼるだけのことだろう。

 

ただほど怖いものはない

母にいつも教えられた。

無料に飛びついたり、人の命の時間を平気で搾取する人々の生き方を見ていると、なるほどと納得する。

人には与えるくらいの方がよい。勘違いしてはいけない。与えるのはお金や物だけとは限らない。お金で解決できないことは山ほどある。

人間関係のもつれ。健康についての悩み。孤独の恐怖などだ。そういう問題解決は、綺麗事では片付かないだろう。

誰かにあなたは間違ってる!などと平気で言える人も、ものすごく自信家だ。

そういう場面に出くわすと、とても驚く。どうやってその人が正しさを決定づけているのだろう。

ハムスターが全員教えなくても向日葵の種を剝くように、ホモ・サピエンスはホモ・サピエンスの域をこえない。大差ないと思う。

世間体を気にしたり、正しさを決めつけたり、支配したがったり、そんな風に自分に自信を持てる人は、とても幸せだなあと思う。

 

もっとリアルを見よう。

実力は自分で決めるものではなく第三者がいて初めて決定づけられる。優劣は決して自分が決められるものではない。

また視点を変えると優が劣に、劣が優になったりするもので、結局この世の中にあるのは弱肉強食だけなのかもしれない。

それに、人間社会で少しばかり優位に見えたとしても、地球からみればやはり単なるホコリみたいなものだから、大したことはない。

徹底的にリアルを見る。

そうすれば自分がいかに大した存在じゃないかがわかる。それを私は謙虚と呼ぶ。

人間なんて何も偉くないとわかれば、通り過ぎる蚊にも蟻にも、畏敬の念がわいてきたりするものだ。

たくさんの生命を殺しながら生きている自分。

それを無駄にしないために、何にエネルギーを使おうか。

 

今日も皆さんありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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