随筆 66

こんなところで日向ぼっこしてる。

世間は休日だけど、我が家は誰もいない。私は雇用されているわけじゃないけど、今朝も五時に起きて、家の仕事はきちんとやるし、休みはあると言えばあるし、ないと言えば全くない。

おまけに今年はPTAの活動もあるし、食の仕事もしているから、土日祝祭日なんて、記憶からなくなって久しい。早朝から始めるときもあるし、夜中の二時三時にやりとりしていることもある。

だけど、そんな毎日を送ることができるのは案外楽しい。

旦那と休みを合わせることもできるし、何処にいても、今はインターネットのおかげで、電話や対面でなくても、タスクは進めていくこともできる。

もちろん信頼関係があってこその、それなのだけど。

リアルタイムでお金を稼ぐことだけが仕事だと思いこんでいる日本人は多いだろう。

だから、殆どが雇用されているわけで、それもリスクなき、容易い方法である。

時にそこから外されざるを得ない人もいて、そういう人は悲観的になるのではなく、視野を拡大すればチャンスはいくらでもあるように思う。

また、地球のため、動物のため、弱者のために活動しているNGOの方々などには、誰よりも多くお金を払わないといけないのに、日本人は当たり前のようにボランティアで彼らを使おうとする。なんだか貨幣経済の仕組みはおかしい。

身体に良くないものを綺麗なパッケージで消費者心理を利用して販売している企業には一円も払いたくない。

動物実験をしなくては安全かどうかさえわからないものに、お金を使いたくない。

途上国の人々を搾取して、例えば児童労働などで利益を得るチョコレートや珈琲などはよくよく考えて選ばなくてはならない。

胸を張って、これは「仕事」だと言えるものに関与していきたい。

なんて大きなことを言いながら、私なんて自分の人生を売るようなライター。

全責任は自分一人でとらなくてはならない。

死ぬまで体現することを継続するつもりではあるが、日本人は奇跡や自然治癒や健康や思考の現実化などには興味がないのかもしれない。

まあ、自己満足の世界……

だけど、優先順位は間違いたくない。

仕事が忙しくなって、身体一つ守れないような馬鹿になりたくない。

仕事が忙しいからって子供を護れないような無知な親にもなりたくない。

自分が生きていることは地球の全生命のおかけだということを忘れたくない。

だけど、死んだらその瞬間に、きっと無になるだろう。

どうせ無になるんだったら、今のうちに面白いことやっておきたいよねって思う。

仕事も遊びも同じようなもの。どれも全部自分の人生だ。決して切り分けることはできない。

生き様が仕事に表れる。だから嘘つきは信用しない。綺麗事も適当に流す。責任感とは他者に対する愛がないと持てないので、責任転嫁する人とは愛し合えない。

雇用されているわけじゃないからこそ、誰と関わるかをきちんと自分の脳で判断できる。

前述したような人間とは関わりたくないってのが本音。

優劣善悪正誤は決められないけど、個人的な好き嫌いは私の自由だから。

私の人生は私のものなので、美しい生命と共存できる世界を創造したい。

最期の瞬間、そうやって出会った人全部思い出せるだろうか……

コニーサンのことしか思い出さないんだろうか(笑)

 

 

今日も皆さんありがとう

 

 

 

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