人はいくつになっても、帰る場所がほしいのかもしれない。
それは、必ずしも故郷ということではなくて……
帰る場所がある人は、それが心の拠り所となり、安心して旅に出ることができる。
それが、家なのか、母なのか、妻なのかはわからない。
人でない場合は土地かもしれない。
もしも親のところに帰れない場合は、他人に求めればいい、
それでもない場合は、土地に求めればいい。
親子に拘る人が多いけれど、どんな生命も交尾はするし、時が来れば子は産まれてくる。
そこに、人間は意味づけをしたがるが、大抵の人は死ぬ間際に傍らにいるのは他人である。
帰る場所がなくて、流浪する人もいるけれど、そんな人は、地球に還るのかもしれない。
私達は全体の一部だ。
自分の体の中にそれを見ることができる。
赤血球が自分の一部であり、マクロファージが自分の一部であるように。
私達は地球の一部であり、宇宙の一部だ。
死んだとしても、何かに形を変え循環している。
殺してきた命は私達の中に循環している。
そう考えると、帰る場所なんてなくても、自然にこの星の中に、宇宙の中に、埋もれていくのだろう。
寂しさとか孤独は、個々の捉え方であり、本来はすべての存在が全体を作っている。
一部は全部
全部は一部
私はやはり地球に還ろうと思う。
※写真https://images.nasa.gov
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